| Home |
日本経済新聞の7月24日夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」に、『失われる息抜き時間 野田正彰さんに聞く』という記事があった。
関西学院大学の野田正彰教授(比較文化精神医学)は、お父上が外科医で、小さい頃から人の大病や死、そして遺族の嗚咽を見て育ち、”人の悲しみに過敏になった”と自ら語るヒューマニストだそうだ。
その野田先生が、21世紀に入ってからの仕事場の変化に危機感を募らせているという記事であった。
野田先生が問題視しているのは、労働時間の増加だけではない。職場で「ほっとする時間」 「息抜きできる瞬間」が消えうせて、過度な緊張状態が延々と続く働き方が問題なのだそうだ。
最近特にこんな人が増えていて、『とにかく寝かせてくれ、睡眠薬を出してくれ』と訊ねてくる患者さんが多いのだそうだ。その背景には、四六時中働く人を管理し、人がぼーっとする空いている時間をなくし、すべての時間を無駄にせず有効に使おうとする企業の姿勢があると、先生はいう。
だが、ひとくちに”自由になる”といえども、言うは易し、行うは難し。1人でもがいても限界がある。野田先生のおっしゃるように、『国のありかたも、経済大国志向はそろそろやめにして、大きくはなくても国民が幸せな国へと新しいプランを作るべきだろう』、というのも重要なことだろう。
最後に、野田先生のこの言葉が印象に残ったので、引用しておく。
関西学院大学の野田正彰教授(比較文化精神医学)は、お父上が外科医で、小さい頃から人の大病や死、そして遺族の嗚咽を見て育ち、”人の悲しみに過敏になった”と自ら語るヒューマニストだそうだ。
その野田先生が、21世紀に入ってからの仕事場の変化に危機感を募らせているという記事であった。
野田先生が問題視しているのは、労働時間の増加だけではない。職場で「ほっとする時間」 「息抜きできる瞬間」が消えうせて、過度な緊張状態が延々と続く働き方が問題なのだそうだ。
なんだなんだ?これは私か?まるで、お風呂の中でも壁のタイルに回路図を描いていた、夢の中でも特許を書いていた、そんな昔の自分を見ているようだと思った。その緊張が仕事が終わって、帰宅してからもほどけない人が目立つ。『あれをしなければならない。あー、この点が欠けている』などと頭の中を仕事のことがぐるぐると駆け巡り、やむことがない。これは職場での残業時間がどうかといった問題の域を超えている。私は過剰覚醒社会になったとみている。
最近特にこんな人が増えていて、『とにかく寝かせてくれ、睡眠薬を出してくれ』と訊ねてくる患者さんが多いのだそうだ。その背景には、四六時中働く人を管理し、人がぼーっとする空いている時間をなくし、すべての時間を無駄にせず有効に使おうとする企業の姿勢があると、先生はいう。
まったくその通りだと、会社を離れてみて今さらながら思う。その通りなのだが、企業の中で働いている人は、なかなかその事に気づかないものだ。それはもしかして、心を型にはめて楽にするいわゆる『マインドコントロール』状態なのかなとも思う。そしていつしか「心の病」になってしまう人が最近増えているのではないかと思う。職場でぼーっとしてすごす時間が、やはり必要だ。最も大事なことだと言っていい。ぼーっとすると意識が自由になる。いろいろなことがとめどなく頭に浮かんでくる。(中略) そういういことを通して人は生きることを味わう。余裕がまったくないと、何のために生きているかわからなくなる。
だが、ひとくちに”自由になる”といえども、言うは易し、行うは難し。1人でもがいても限界がある。野田先生のおっしゃるように、『国のありかたも、経済大国志向はそろそろやめにして、大きくはなくても国民が幸せな国へと新しいプランを作るべきだろう』、というのも重要なことだろう。
最後に、野田先生のこの言葉が印象に残ったので、引用しておく。
私はしばしば引用するあの格言を思い出した。やはり働き方には人間性が大事だということだ。普通の人間として生きられる生活、働き方。そもそも人は生活の質をよくするために働いているはずなのに、現実は必ずしもそうではない。
生きることそのものが人生の目的なのだ。ただ生きていることを味わう幸せ。そういえば、もう何年もそんな事を思ったことはない。私の心が自由になるのには、もう少し時間がかかりそうだ。生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ ─ ソクラテス
遠方に住む姉と”スカイプ”で話をした。昨日メールをくれたのでそれに返信をして、急遽お話をすることになったのだ。私もここのところ孤独な気持ちを抱えていて、優しいメールをくれた姉と無性に話をしてみたくなった。
姉は、私の返信メールの中の”ごめんね”に驚いていた。私はこんな事を書いていたのだ。
けれども私にとってはそれは強烈な記憶で、毎日鬼の形相で姉を責めたてる母と、泣きながら言い返していた姉と、同じ場にいながら何も言えずにうつむいて黙っていた私。今でもその場面を脳裏に描くことができる。今から考えると、『ああ、あの時の姉は1人でつらかったんだろうなぁ。』と思ったから”ごめんね”と書いたのだが、本人が忘れていたとは。
それから姉と『不思議なもんだね~』と、しみじみ話をした。十年以上たっているのに、特に大きな出来事でもないのに、今でもふと思い出す『あ~悪いことをしちゃったなあ』という気持ち。そんな思いが、姉にもあるという。
姉はまず、小さい頃私にいろいろとひどい仕打ち(?)をした事を謝っていた。私にはまったく覚えのない事だった。それから姉は、高校時代のささいな事が突然夢に出てきた事で自分の失言を思い出し、その相手に電話をして謝りたい気持ちになったとも言っていた。『でもきっと忘れてるんだろうなあ。』と笑っていた。
シークレットでコメントをくださった方にも、たまたまそんな方がいた。おそらく相手は何とも思っていないであろう事なのに、やけに自分だけ気になる後悔の記憶というものが、そんな小さな心の傷が、人間誰しもあるようだと感じる。
私には、今謝りたい人が2人いる。その事を思い出すだけで、口の中に苦~い味が広がるような記憶がある。たぶんふとしたきっかけで思い出す”謝りたい人”は、これからもゴロゴロと出てくるのだろう。
謝る事で自分の気が晴れるなら、相手が忘れていようが迷惑だろうが謝らせてもらいたいものだと、勝手ながら思ったりもする。もちろん、年月がたったことで水に流してもらえるという計算があるから言える事なのだろう。その場で謝れなかった自分を恥じつつも、誰かに赦してもらう喜びで癒されたいだけなのかもしれない。ある意味、自己満足なのかもしれない。
が、今日姉から”小さい頃は本当にごめんね”と言われたとき、なんとも言いようのない暖かさを感じた。覚えていないなりに実はとても嬉しかった。自分の事を、自分が知らない間に思っていてくれた人がいたというその事実が、嬉しかったのだと思った。そういう事が、私が求めている本当の”コミュニケーション”なのかなと思った。
ちなみに、私の母のように『恨み』の記憶が強い人に唐突に『あの時はごめんね』と言うと、気分によっては突然いろいろ思い出して手がつけられないほど怒り出すことがあるので、注意が必要である。
姉は、私の返信メールの中の”ごめんね”に驚いていた。私はこんな事を書いていたのだ。
姉が言うには、『そんな事もあったっけ』程度で、すっかり忘れていたという。『そんな事ばっかり気にしてるから疲れちゃうのよ。』と優しく笑っていた。お姉ちゃんの就職や退職の頃を思い出しちゃった。お姉ちゃんもいろいろ(母に)責められてたよね。一番苦しんでるのはお姉ちゃんなのにねって思ってたけど、全然助けてあげられなかったね。ごめんね。
けれども私にとってはそれは強烈な記憶で、毎日鬼の形相で姉を責めたてる母と、泣きながら言い返していた姉と、同じ場にいながら何も言えずにうつむいて黙っていた私。今でもその場面を脳裏に描くことができる。今から考えると、『ああ、あの時の姉は1人でつらかったんだろうなぁ。』と思ったから”ごめんね”と書いたのだが、本人が忘れていたとは。
それから姉と『不思議なもんだね~』と、しみじみ話をした。十年以上たっているのに、特に大きな出来事でもないのに、今でもふと思い出す『あ~悪いことをしちゃったなあ』という気持ち。そんな思いが、姉にもあるという。
姉はまず、小さい頃私にいろいろとひどい仕打ち(?)をした事を謝っていた。私にはまったく覚えのない事だった。それから姉は、高校時代のささいな事が突然夢に出てきた事で自分の失言を思い出し、その相手に電話をして謝りたい気持ちになったとも言っていた。『でもきっと忘れてるんだろうなあ。』と笑っていた。
シークレットでコメントをくださった方にも、たまたまそんな方がいた。おそらく相手は何とも思っていないであろう事なのに、やけに自分だけ気になる後悔の記憶というものが、そんな小さな心の傷が、人間誰しもあるようだと感じる。
私には、今謝りたい人が2人いる。その事を思い出すだけで、口の中に苦~い味が広がるような記憶がある。たぶんふとしたきっかけで思い出す”謝りたい人”は、これからもゴロゴロと出てくるのだろう。
謝る事で自分の気が晴れるなら、相手が忘れていようが迷惑だろうが謝らせてもらいたいものだと、勝手ながら思ったりもする。もちろん、年月がたったことで水に流してもらえるという計算があるから言える事なのだろう。その場で謝れなかった自分を恥じつつも、誰かに赦してもらう喜びで癒されたいだけなのかもしれない。ある意味、自己満足なのかもしれない。
が、今日姉から”小さい頃は本当にごめんね”と言われたとき、なんとも言いようのない暖かさを感じた。覚えていないなりに実はとても嬉しかった。自分の事を、自分が知らない間に思っていてくれた人がいたというその事実が、嬉しかったのだと思った。そういう事が、私が求めている本当の”コミュニケーション”なのかなと思った。
ちなみに、私の母のように『恨み』の記憶が強い人に唐突に『あの時はごめんね』と言うと、気分によっては突然いろいろ思い出して手がつけられないほど怒り出すことがあるので、注意が必要である。
| Home |