ゲストの中では、月乃光司さん(作家)と西原理恵子さん(漫画家)の言葉がとても参考になったので、いくつかメモをした。
月乃光司さんは、アルコール依存症とひきこもりを経験したそうだ。現在は会社員でもある一方で、「こわれ者の祭典」という”「病気」の体験発表&パフォーマンスイベント”の主宰をされている。
元ひきこもりの人からの、『いつも人の顔色を伺いおびえていました。親を恨み自分を恨みました。いま現在の自分は会社でも人間関係を作ることはできず、変わり者で通っています。』 というメールに対して、月乃さんのコメントはこうだった。
『そのメンバーのみなさんは今も自分を憎み続けていますか?』というROLLY(ミュージシャン)さんの質問に、『いやそれがですね・・・』と月乃さんは言う。元引きこもりは生きるスキルがあまりない。人間関係ってのはほら、いろんな葛藤の中に学ぶじゃないですか。そういうのが無いからすごい下手なんですよ人間関係。私も会社の中で、『おはようございます』 と 『すいません』、だいたい2つの言葉しか使わない。変わり者だし、だいぶ困ってきたと思いますよ。
で、私が唯一解決してるのは、プライベートに変な人や異端な人になる場所があると楽ですよね。世の中には、元引きこもりの人が集まる会とか、自分がいかに変であったかをアピールする場がたくさんあるんですよ。(メールの送り主さんも)そういう場所を是非見つけてやってください。
この言葉にROLLYさんも『実にすばらしいことです!』と感激した様子であった。自分の事を、”親を憎んだ”、”手切った”、”こんなおかしかった”って話をすれば、自分を愛せて家族を愛せるようになるんですよ。
私も、今の自分のこのゆがんだブログは、そういう”発表の場”を求めてやっている事なのかなぁと少し思った。これが一回転して、ポジティブな方向に思えるようになれればいいのだがと思った。その2つの考え方は対極なのではなく、表裏一体なのかもしれない。かつて自分をものすごく憎んで、親をものすごく憎んで、憎くて憎くてしょうがなくて、憎さの極地に達したものが、それを発表することによって喜びの頂点に達することができたということですか!ネガティブな方向に行って、ぐわーって掘ったら、いつの間にかポジティブになっていたという。
また、自殺未遂を繰り返して現在ひきこもっている人からの 『死ぬよりもむしろ消えてなくなりたい。どうして私をちゃんと見てくれないんだろう。』 というメールに、『すごく子供っぽく見える。』 などというゲストもいたが、月乃さんは説明した。
引きこもりの人って言うのは、”自己顕示欲が強くなくて人が嫌いであんまり目立ちたくない人かな”と思われるけれど、それは逆。むしろ過剰なほど人間が好きで目立ちたくて、コミュニケーションを取りたいタイプなんですね。
見てもらいたいという気持ち。それは恥ずかしいことじゃない。是非そこを切り口にこれから歩みだして。ひきこもっててもいいけど脱出するといいこともあるんで。ひきこもりやめろとは誰も言わないけど。
シングルマザーからの、『頑張りすぎたのでしょうか。突然、自分でもどうしようもないぐらい大声でどなり、泣き、床をたたき続けました。自分がこれ以上くずれないようにしなければ・・・』 というメールに対して、自らもシングルマザーである西原理恵子さんは代弁しておられた。
そして、『ムリをしないで、”大嫌いなお姑さん”なり”市役所”なりに子供を持っていってください。絶対に手段があります。』 とアドバイスをする。『あなたは悪く言われるかもしれないけれど、子供だけは必ず助けてくれるように世界はそういう風にできていますので。』 と。専業主婦って、特に子育てしてる人はみんなボロボロですよ。主婦は24時間働いてそれが永遠に続くんです。で休みがないんです。それで誰からもほめられないで、ギャラももらえないで、有給がないんです。そのときに夫の愛や家族の協力がなかったら、どんな状況になるか・・・。
私は子育てもしていないのに、さらにずうずうしい立場であるが、ここまでテレビで言い切ってくれる人がいて ”そうか、家事って完璧にやらなくてもいいのか。” とお墨付きをいただいたようで、嬉しいやら驚くやらだった。結局、生きてれば誰かに嫌われるんですよ。誰かにどうしょもないやつだって。母親やってると特に、”だらしない、こんなこともできてない、あんなこともできてない”って言われます。
でももういい加減ちゃんと向き合うのをやめて、床も洗濯物も全部汚れたままで家も汚いまんまで、もう店屋物で構わないです。一緒に寝て起きて、無理しないようにしてください。
私の場合は、自分で自分を ”だらしない、誰かに怒られる” と叱咤しながら家事をやっている。(ほとんどできていないが。) 誰かに直接言われているわけではないのに、何に脅迫されているのだろうと我ながら不思議ではある。それで泣いたり倒れたりするのは、確かに馬鹿らしい。わかってはいるけれど、そう割り切って考えるようになれるのは難しいだろうなぁとも思う。
そして、離婚したアルコール依存症の夫をガンで亡くしたという経験もある西原さんは、最後にこう言った。
お疲れさまと誰かに言われて死ぬ人生 ・・・ 理想的だ。私もそうやって死にたい。今の私はそこまで頑張れているだろうか?やっぱりどう死ぬかだと思うんですよ。みんなに嫌われてさみしく捨て犬のように死んでいくか、神様にお疲れさまって言われて死んでいくのか。
一生治らない病気にかかっている人って山ほどいます。夫もガン病棟のホスピス(終末期ケア施設)に入ったんですけれど、若い人も年取った人もみんな立派でした。誰一人文句を言わず悪口を言わず、みんな死んでいきました。夫も最期は立派でした。夫にもういっぺん会ったら、お疲れ様でしたって言うしかないですね。
ああ、また ”頑張らなければ” とか ”いい人にならなければ” と思ってしまった私がいる。頑張りどころが違うのかな。頭ではわかるのだが、どうもうまく力を抜いて生きられなくて、そんな自分が歯がゆい。