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うつ・自殺と向きあう
 日曜日に録画した「日曜フォーラム」という番組を見た。タイトルは『自ら命を絶たないために』。少々重い話かもしれないが、やはり気にせずにはいられなかったのだ。
 番組で放送していたのは、今年の9月14日に富山市で公開収録された 『ひとりじゃない~うつ・自殺と向きあう~』 というフォーラムだった。

 パネリストの中に、NPO法人エッセンスクラブ理事長の赤穂依鈴子さんという女性がいた。赤穂さんも7年前にうつを発症し、4回の自殺未遂を起こしてしまった経歴を持つ方だそうだ。けれども今はそれを克服して、NPO法人を立ち上げるまでになった。彼女の話は、非常に共感できたし、また回復のヒントをもらえたような気がしたので、ここにメモしておく。

 『心の内を打ち明けたりぶちまけたりすることは、できないものですか?』という司会者の問いに、赤穂さんは次のように答えていた。

 できませんでしたね。
 ちょっと軽い事で弱音を吐いたりしたときに、『あぁそうなの?』ってさらっと流されたり、『まだまだいけるよ』って言われたりしたら、ほんとに落ち込んじゃって、さらにそこから一歩踏み込んだ悩みを打ち明けるっていう糸口を失ってしまうんですよね。

 ですから、そういうのを積み重ねて自殺を考えてしまったときに、『あたしどうしよう』と思ったときに、結局『どうせこんな事言っても誰も理解してくれないんだろうな』 『これは自分で何とかしなきゃ』って自分で追い込んじゃって、どんどんどんどん雪ダルマのように膨れてしまったっていうのが、私の当時の心境でした。

その赤穂さんが、回復するきっかけとなったのが、”同じ経験をもつ精神科医との出会い” だったそうだ。

 ”相談窓口”に何ヶ所か勇気をもって電話をしたり、訪ねていった事もあったんですけど、相談が一方通行なんですよね。聞いてはくれるんだけれども、どうも受け止めてくれてるという実感がなくて、『なんだろうこのむなしさは』というのが正直なところ。行って救われたというよりも、『行くんじゃなかった』っていう後悔がちょっとありました。

 病院に通ってても全然治らないじゃないという3~4年目のときに、うつを患われた先生とお会いして、やっぱりなった者同士でないとわからない微妙な気持ちや苦しさって、言葉では表現できないものが、言葉で言わなくても伝わるというとても不思議な感覚がありまして。
 これはもしかして、自分がこの苦しみを得た体験が、今私と同じように苦しんで入る人の役に立つんじゃないかな、むしろ役に立ちたいな、医療と行政とは違った自分でできることは何かないかな、と思って。


 いま赤穂さんは、設立したNPO法人で週一回 ”笑談会” という、同じ悩みを持つ人たちが明るく笑いながら談話する会を開いている。出席者からはこんな声が出ていた。

治療でもない、カウンセリングほど堅いものでもないっていう空間がいい。

3年間活動をしてきた赤穂さんが思うのは、”話す、しゃべるということがいかに健康である秘訣か” ということだそうだ。

 人とお会いして話をする、字のとおり”会話”なんですね。五感が整った環境の中で、わかりあえる通じ合える話をする。たまたま共通する話題が”趣味”や”旅行”の話ではなく”病気”って言う、よくよく考えてみたらごく普通で、人間だれでもがすごく大切な事。
 『つながる』 ということが、回復する近道でした。

赤穂さんは、『うつになれる人3ヶ条』を声を大にして言っているそうだ。

  1. 温かい人
    人を思いやれる気にかけてあげる温かい人
  2. 繊細な人
    自分が体調を壊していようが苦しかろうが周りの配慮ができる人
  3. 責任感の強い人
    途中で投げ出すことができない人

この3つを持ち合わせていないと、うつに”なれない”そうだ。これらは、人間が本来持っている優しさや暖かさ。赤穂さんは、『今一度見直して人との関わりつながりを大切にしてほしい』、と話をしめくくっておられた。

 この意見を聞いて、『確かになぁ』と思った。私も感じるところを自分勝手に言わせていただければ、日本国民全員が上の3つを兼ね備えている人間だったら、誰もうつ病になんかならないだろうと思う。今みたいな忙しい競争社会では、こうした”人間として基本的な事”を忘れてしまう人が多くて、いつからか本当の心の会話ができなくなって、普通の人がむしろ頭がおかしくなってしまうのだ。私は大きくうなずいた。自分たちはおかしくないんだ。自分たちは間違っていないんだ。イラナイコだなんて自己否定ばかりしていないで、もっと堂々としていてもいいじゃないか。そう言いたくなった。

 これにからんで、国立精神・神経センター自殺予防センター長の竹島正さんのお話にも勇気をいただいたので、メモしておく。

 社会って、決して病気知らずの健康な人だけが作ってるんじゃなしに、逆に病気したりいろんな事しんどい事を経験した人がそこから与えてくれるもうちょっと深い築き、それがやはり社会を作ってる大きい要素だっていう事です。


 どうか少しでも、自殺をする人が減りますように。
 人間は誰しもいつか死ぬときがやってくる。それまでゆっくり、自分が生きる意味と死ぬ意味について考えよう。うつ病の人には、それができる。むしろ、何も考えないで健康に楽しく生きている人は最期に泣き叫んで喚いてオロオロするだろうが、それよりもよっぽど立派で穏やかな死に方ができるだろう。

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失敗はリハーサル
 「課外授業~ようこそ先輩~」の『失敗は未来へのリハーサル』を見た。今日の先生は、工学博士の畑村洋太郎先生だった。ロケット打ち上げ失敗、自動車のリコール多発、回転ドアでの事故など、様々な“失敗”の原因究明と再発防止に取組んできた、人呼んで”失敗学のパイオニア”である。

 畑村先生は、子供たちに最先端の科学技術の写真を見せてから、こう言った。

 うまくいく時もあるけれど、その前にたくさん失敗して学ぶから、うまくいくんだよ。
 もう散々失敗して、もう嫌んなっちゃうぐらい辞めたいとかね、お金損しちゃったりとかね、時間の無駄だったとかね、会社でいったら自分より上の偉いさんにボロクソに叱られちゃうとかね。そんな事がおこりながらやるんだけど、それで最後に成功すると、まるで初めからそこまでスルスルといったかのようにみんな話をするけど、それは違うよ。

 そして、先生は子供たちに、自分がやった失敗体験を書き出してもらった。重大事故につながる危険な失敗もあれば、誰もがやる”うっかり”の失敗もあり、痛い目にあって成長するために必要な失敗や、また友達関係の悩みなど心の中の失敗もあった。
 子供たちはその話をまとめて、どうしたらよかったのかを真剣に話し合い、寸劇などにして発表した。

 畑村先生が、最後に総評として子供たちに言った言葉が、印象的だった。

 本当にいい発表ができたなと思います。これ実は、他の人の失敗を自分の失敗として学ぶことができる、取り込むことができるっていうところまできたのね。
 失敗を失敗だと認めて、そして失敗した時の辛さというのをとどめること。はっきりとちゃんと自覚することができるようになると、他の人にすごく優しくなれる。そしてこの優しいということは、ただ簡単に優しくなるんじゃなくて、よその人と辛さをきちんと共有できるようになってることなんだよ。


 技術にも、そして人生にだって失敗はつきものだ。その失敗に正面から向き合うことが大切なのだと、畑村先生は教えてくださった。

大学院は出たけれど
2008.09.28 Sun 17:58 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 ザ・ドキュメンタリー『博士たちのワーキングプア~ひとコマ2万5千円~』という番組を見た。大学院を出ても就職難という壁にぶち当たる、博士課程修了者たちを追っていた。

 その昔、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』(1929年)という映画があったが、今は『大学院は出たけれど』とでも言うのだろうか。研究者たちを待ち受ける現実は厳しい。
 京都大学の尾池和夫総長も、今年の卒業式でこう述べたそうだ。

 日本の大きな課題は、大学院を出て博士学位を授与された重要な人材を、採用して本来の力を発揮してもらうための場所が十分用意されていないということ。

 ベストセラー『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』の著者、水月昭道氏は言う。

20代~30代で専任の研究者はいない。みんな非常勤です。フリーターです。


 こうなってしまった原因の1つは、国の政策にもあるそうだ。1991年、国は科学技術立国をめざして大学院生の数を倍増させようと、『大学院生倍増計画』をうちたてた。教育機関は、補助金をうけて大学院を次々と増やし、博士達は増え続けた。
 しかしバブル崩壊後、雇用に積極的な企業は減り、結果的に今や仕事にあぶれた博士たちを大量に作る事になってしまったのだ。

 番組で密着していた佐々木祐さん(34)は、中米ニカラグアの歴史を研究している研究者だ。非常勤講師の相場は、90分の講義1コマで月約25,000円。8コマの講義をもっている佐々木さんだが、東京への交通費などを引くと生活費は15万円程度になってしまう。しかも、非常勤講師はいつ契約を切られても文句は言えない立場で、この秋から佐々木さんが受け持つ講義は4コマになってしまうという。生活費を計算すると、月に6万円程度の見通しだ。

 客観的なデータを見ると非常に惨めな暮らし。金はないし未来もないし、精神的な余裕もない。あきらめてるわけではない。なんとかなると思ってるから、さほど深刻にならずに楽しくやっているけど、あきらめたりするとうつ病になったりするかも。

と佐々木さんは笑う。

  佐々木さんの恩師、立命館大学の崎山政毅教授は、佐々木さんを激励しつつ、今の”研究成果をすぐに求められる時代”を嘆く。

 すぐさま結果を出せって言う風にいってきてますんで。(正規の研究職に就くためには)博士号をとり、業績がいっぱいあり、大学で教えている、これは拷問のような状況だとボクは思います。

京都大学キャリアサポートセンターの鱸淳一さんも、警鐘を鳴らす。

 こういった人の価値観を大事にしないと、日本の科学技術自体が弱まっていく。国力も弱まっていく。


 まったくだ。マネーゲームの成功者ばかりを崇めたてたのは誰だ?技術立国日本をこんなバクチ資本主義国家にしたのは誰だ?もっと堅実な価値観を持った人づくりを、国をあげてやってもらいたいものだと、私は憤りを通り越して悲しくなった。

禁煙条例
2008.09.27 Sat 16:37 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨日の「特報首都圏」で、『たばこの煙はどこへいく?~神奈川“禁煙条例”の波紋~』を見た。

 私が住む神奈川県では今月、屋内施設を禁煙にする全国初の禁煙条例の骨子案が発表された。嫌煙家の私にとって、朗報である。だが、たしか春ごろ発表された話では、レストランもパチンコ店もすべての屋内施設が全面禁煙になると聞いていたのだが、今月発表された内容はこうだった。

受動喫煙防止条例(骨子案)
禁煙
学校、病院、官公庁、劇場、結婚式場
禁煙か分煙か選択する
百貨店、スーパーマーケット、レストラン、居酒屋、ホテル・旅館
(3年の猶予)パチンコ店、マージャン店、バー

規制の対象となる業界から反発が強く、一律全面禁煙は実現できなかったのだ。けれども条例には、玉井課長の頑張りで、なんとか『5年以内に必要な見直しをする』という文章だけは含んだ形となったそうだ。

 そもそも、神奈川県では松沢県知事が

受動喫煙の被害から県民を守っていくために、きちっとしたルールを作っていきたい。

という考えのもとに、違反した場合は罰則もある一律全面禁煙の条例を制定しようと頑張ってきたのだった。その先頭で旗をふっていたのは、もともと県立がんセンターで医師として20年間ガンの治療や研究に携わってきた、健康増進課の玉井拙夫課長だった。
 世界水準の禁煙条例を目指していた玉井課長は、少々残念がりながらも

 5年たてばもう少し世の中が勝手に進むとは思っている。意識もかなり進む。一歩を踏み出せばと今は思っている。

と、県民の意識の高まりに期待していた。

 海外では、国が法律で屋内を全面禁煙にする動きが広がっている。

 受動喫煙はガンになる危険を高めるほか、子供の健康、胎児の成長に深刻な影響を与えることが医学的に明らかになっている。

として、2003年にWHO(世界保健機関)で『たばこ規制枠組み条約』が採択され、日本を含む世界160カ国が参加しているという。このガイドラインは、”飲食店やオフィスなど施設の屋内を全面禁煙にすること”を求めているものである。
 しかし日本は、これに対して努力しているとは言いがたい。日本でも5年前に『健康増進法』が施行されたが、多くの人が利用する施設の管理者に必要な措置をとるよう求める”努力義務” にとどまっているそうだ。
 そこで神奈川県では、県民の死因の1位であるがんを予防しようという願いをこめて、日本ではじめて罰則のある条例を独自に作ろうとしているのだ。東京を始めとする首都圏は、神奈川県の取り組みを見守っている状況だと聞く。
 
 何事も、最初に常識や習慣を変えていくのは大変だ。粘り強く説明を続け、国際的なルールを県民や業界に理解してもらい、とりわけたばこを吸っている人たちの”自分さえよければ”という意識を変えてもらうしかないという。正しい事をしているのだという信念をもって、いろいろな団体の圧力に負けず、ぜひとも頑張っていただきたい。松沢県知事と玉井課長を、心から応援する。
 
安易な判断
 私が悪かった。私が、偏屈な父の事を 『もしかしたら発達障害なんじゃないか?』 と、母に言ってしまったのが悪かった。

 確かに父にはその傾向があるのだ。言葉の裏を読むことができず、いつも母とケンカになる。言葉に正直すぎて口論になると、『辞書を引いてごらん!』 と主張する。『お庭を見てきて』 と頼むと、庭に出て風景を眺めている。
 私は、母の怒りの負担が少しでも減ればと思って、以前見たテレビの話をしたのだった。もちろん、お互いに理解して歩み寄っているステキなご夫婦の話を紹介して・・・。

 ところが自己愛が強すぎる母は、後半の”ステキな夫婦”のくだりは全く聞いていなかったらしい。今度は”障害”を怒りの種にしたようだ。『私は障害者の介護をずっとしてきたんだわ!』 と父に向かって怒りをぶつけ、私に電話をしてきては 『ママにもっと同情してちょうだい。』 と言う。
 私が悪かった。安易に素人判断で人を障害者よばわりしたり、説明が足りないままそれを誰かに言ったりしてはいけなかった。

 でも、私も精神障害者。それを知っているはずの母が、私にむかってそんな事を言うなんてヒドイと思った。私は、『誰か私の夫に同情してあげて。』 と言わなければならない。なんだか色々とごめんなさい。

無気力
うつ病ってなんだろう。
すべての気力を失う。

まず
外に出たいと思わない。
人に会いたいと思わない。
食べたいと思わない。
眠りたいと思わない。
排泄をしたいと思わない。
性的な行為をしたいと思わない。

細かいことでいえば
目の焦点をあわせたいと思わない。
聞こえる音の大きさを調節しようと思わない。
口に入れたものを飲み込もうと思わない。
呼吸をしようと思わない。

そして何より
治りたいと思わない。

本人が治す気がないのに
どうやってこれを治せというのだろう。
何のためにこれを治せというのだろう。

治ったという人。。。
本当は社会に対応するために
治ったフリをしているだけなのかとも思う。

二ヶ国語を話すように。
二つの文化に溶け込むように。

私にはいま
その気力も必要性もない。