色々と雑用をこなしてから夫の病院へお見舞いに行ったら、談話室で貧血を起こして、ソファに(物理的に)倒れてしまったのだ。激しい眩暈、過呼吸、微熱、冷汗・・・、私はとにかく遠のく意識を引き戻すのに必死だった。
果たして私は待望(?)だった『倒れる』ことができたのだろうか?いや、そうではなかった。
病院なので、お医者さんも看護師さんもたくさんいる。けれどもどう見ても、点滴のチューブをつけた夫が病人で、外来バッヂをつけた私はただの”だらしない見舞客”でしかなかった。
夫が食事に戻っている間、私はどうやら壁伝いに歩いて廊下にあったソファまで少し移動し、そこで醜態をさらすべく一人横になっていたようだったが、『大丈夫ですか?』と声をかけてくれる人は誰一人としていなかった。朦朧とする意識の中で、『誰か助けてください。水をください。』と声を出そうかとも思ったが、みんながとても忙しそうに足早に歩いている場所で、患者でもない私に何をしてくれるというのだろうかと躊躇した。
逆に病院内だと、診察券がないとだめとか、診療時間外だからだめとか言われそうだなと、そんな事をうつらうつらと考えてしまった。病院内から119番すれば、救急外来のところに運んでもらえるのかなあとも思った。
昔デパートのソファで倒れたときは親切そうな店員さんが『大丈夫ですか?』と声をかけてくれたなとか、電車で貧血で倒れたときは誰も声をかけてくれなかったなとか、会社で倒れたときは地面に寝かされたなとか、昔の事を色々と思い出した。
たぶん私は甘えているのだと思う。他人を当てにしすぎなのだと思う。構ってもらいたいだけなのだと思う。
1時間ほど夫のベッドで横にならせてもらい、意識がはっきり戻ってから車でゆっくり帰ってきた。多少タイヤが駐車場の縁石に乗り上げたぐらいで、事故も起こさず無事に帰ってこれてよかった。
南舘和可子(22)さんは、将来人を助ける仕事をしたいと大学の看護学部に入学したが、来年の卒業を目前にして自信をなくしているという。これまでいくつか実習を行ったけれども、失敗を恐れるあまり患者さんに自分から声をかけて必要なアドバイスをするのをためらってしまい、患者さんとうまく向き合うことができなかったからだそうだ。
これに相対するのは、北海道の大学生・大滝雅史(20)さん。大滝さんは、札幌でホームレス支援を行うボランティア”北海道の労働と福祉を考える会(労福会)”の事務局長である。労福会はこの9年間、夜回り、炊き出し、散髪、生活保護の申請の手伝いなど、毎年40人前後の人が路上生活から抜け出せるよう手助けをしてきたそうだ。
大滝さんが南舘さんに最初に言った一言に、私はドキっとした。
わかっている。私もブログで偉そうな事を書きなぐっている割には何もしていない傲慢さに、うすうす気付いているのだ。そこを指摘されたようで恥ずかしさすら覚えた。人助けをするときに自信があるってキモイって思いますね。最初からできてるって思うほうが不安って言うか、傲慢だし。
さらに大滝さんから見た南舘さんの第一印象を聞いて、胸が痛かった。
大滝さんも中学高校の頃は理屈っぽい性格で、”自分は何もやってないけどやってる人に対しては批判する”というタイプだったそうだ。しかしある日振り返ってみると、すごく立派な理論を持ってるかもしれないけど何もしてない自分に気がついたという。完璧主義じゃないですけど、ちゃんと仕事できないんだったらやっちゃいけないみたいなところなのかな。でも最初から仕事を完璧に出来る人なんて誰もいないじゃないですか。そこをもうちょっと柔軟に考えたほうがいいのかなって思う。
確かにそうなのだが、何かが怖いのだ。大滝さんの話を聞く南舘さんも、『頭ではわかるんですけど・・・』と言いながらも、最初の2日間は悩んでしまっているようだった。それと比べた時に、行動するっていうことは不可避的に間違いを含むと思うんですけど、結局行動しなかったら誰も救えないのは間違いないんで。
南舘さんは言う。
私は”周りの目が気になる”、”イイコでいたい” という南舘さんの気持ちがすごくよくわかった。人からはみ出すことをするだけで叩かれる今の時代、それで見て見ぬふりをするようになってしまった人は多いのではないだろうか。むしろ南舘さんのように、それでも人助けがしたいと思うだけ立派なことだと思う。人に影響を与える事、それっていい影響を与えるかもしれないですけど、もしかしたらこちらの行動とか言葉一つでその人にとっては良くないと思うような影響を与える可能性もありますよね。そういう風に関わるってことは、私の中では人の嫌な事をするのってすっごい怖い。やだなって思うんですよ。
けれどもそのとき、大滝さんの一言が胸を打った。
ああそうだ。それが”傲慢”だというのだ。上から手を差し伸べただけで、誰が手を握り返してくれるというのだ。それで結局何もしないんだったら、意味ないじゃないですか。それで相手を助けたいっていう神業的な事ができるんだったらいいですけど、それで今足がすくんで動けないっていう状態じゃないですか。
自分だけ安全地帯にいて、っていうか自分楽して人助けなんかできない。
3日目。実際に大滝さん達が支援しているホームレスの志村さんという男性の話を聞いた。『最初はもう面倒くさかったよ。わしに文句あんのかこのやろうって思ってさ。』という志村さんは、大滝さん達への今の思いを語った。
大滝さんは、そんな志村さんの言葉を聞いて『嬉しい』と素直に喜びつつ、こう語った。結局はうちらを心配して来るんだから。昨日も夜回りで怒られたでしょ。その人だって別に俺なんか関係ないんだから、親でもないし兄弟でもないんだから怒る必要ないんだけれども、俺にちゃんとしてほしいからああいう風にああだこうだ怒るから。
それに対しては俺はありがたいと思うよ。怒ってくれるって言うのは。
人と向き合うことは、相手と同じ目線に立つこと。相手に自分の感情をモロに見せること。それだからこそ自分も傷つき、相手が傷つくときがあるのかもしれない。怖い。怖いけど、それをやらなければ何もしていない人と同じこと。理屈ではわかるのだが・・・。人助けをするっていうことは、深いところをつく。ようするに必要であれば相手のためを思うからこそ、相手にとってちょっと聞いてやだなって思うことも言わなければならない場面が出てくるんだよね。
最後のダメ押しに、志村さんは笑いながら南舘さんに言った。
それを聞いた南舘さんは、何か少しふっきれたようだった。一回怒られな!一回怒られればね、自分で勇気もてるよ。
これを聞いて、私自身も本当に怒られたことがないのかもしれないと思った。感情的に怒られて萎縮してしまった事ならたくさんあるが、心をさらけ出して本気でぶつかって怒られたことがないのかもしれない。怒られたほうがいいっていうのは、私もちょっと思いました(笑) なんか私、怒られたことってないんだなって。それでいちばん怖がってるんで、ダメもとでやって怒られるべきなのかなって。
まだまだ私が”人助け”をできるようになるのは、先になりそうだ。
ここで、「小さいことにくよくよするな!
しかし、『その間にも町には飢えた人たち、話し相手を求める老人達、育児に手を貸して欲しい母親達、ゴミだらけの路地、ペンキ塗りが必要な家など、あなたの手を借りたい多くのことがあふれているのだ』とリチャード。「もっと人のためになることをしたいんだが、いまはなにもできない。いつか、もっと成功したら多くの人のためになることをするよ」
いつまでも、あとであとでと言っている場合ではないのかもしれない。小さな親切をしたところでなにも変わらないじゃないか、という思いにとらわれすぎると欲求不満になり、その無力感を口実にしてなにも行動しなくなってしまう。
病室で、夫が私の髪をなでた。そう言われて鏡をみたら、カラーリングが伸びた部分に、びっしりと白髪が生えていた。私も年をとったのか。それともストレスか。私は唐突に、夢の世界から現実に戻ってみたら白髪になってしまった浦島太郎の物語を思い出した。
信号待ちの間に車のサンルーフから見上げた空は、都会の喧騒とはうらはらに、ゆっくりすすむ薄い雲を漂わせていた。のんびり行こうよ・・・そんな風に言ってくれているような気がした。
2週間に1度の精神科への通院以外、ほとんど外出もしたことのない私が、車で2~30分離れた病院へ毎日夫のお見舞いに行っている。今日で6日目。夫には 『毎日こなくていいよ。』 と言われているが、なにかに憑かれたように、むきになって毎日お見舞いへ行っている。こんな気持ちでお見舞いに行っても、夫も嬉しくないのではないかと申し訳なく思う。
『無理しないでね。』 と色々な人に言われるが、無理をしないと呼吸すらもできない私である。どこまでが無理ではなくてどこからが無理なのか、程度がわからないのだ。だからこんな時は、極限まで無理をしてしまうかもしれない。
相変わらずうつ病をよくわかっていない両親は、健康な人のやり方で元気をつけてあげようと思うのか、『昼ごはんを外で一緒に食べよう!』 と電話をしてくる。とにかく外に出るのが嫌なのだと何度も言っているのだが、どうしてもわかってもらえなくて悲しくなる。お誘いは丁重にお断りした。また罪悪感が私の心に残る。
今日は、夫のお見舞いへ行ってから、夕方精神科へ行った。先生に事情を説明したら、『あなたが倒れないように。』 と言われたが、倒れられるものなら倒れたい。よく家で物理的には倒れているが、世間一般で言われる 『倒れる』 とはなんだろう?
『高熱でも出れば、赦してもらえるんでしょうか。』 と先生に聞いたら、先生は 『誰もゆるさないなんて言ってませんよ。』 と笑った。
帰り道、歩く力が残っていなくて、足をひきずるように家路に向かった。たくさんの人に後ろから抜かされた。私は、働いていたころの最後の方の気持ちを思い出した。あの頃は、こんな感じに満身創痍だったなぁと。
気がついたら涙が出ていた。スピードを出して飛ばす車がビュンビュンと私の横を通り過ぎる。この車の前に飛び出てしまえば楽になれるかな。そんな事を考えた。けれども、たぶんものすごく痛いだろう。私は本当の体の痛みを知らないんだろう。甘ちゃんなのだ。私は自分で自分を、叱咤激励した。
とにもかくにも、今日も頑張って生き抜いた。家についてから、また泣いた。
明日は洗濯日和らしい。私は洗濯をしなければいけない。
出演していたのは、計画を立てて人生を着実に歩んできたという大学院生、青柳美帆(24)さん。計画をしっかりたて着実にこなすことで、ここまで思い通りの人生を歩んできた自分に誇りをもつという。しかしその一方で、計画にとらわれすぎではないか、体に無理をしているのではないか、自分を追い込みすぎているのではないかと最近思うようになってきて、番組に応募したそうだ。
まるで私のようだと思った。私も学生時代の試験前や、仕事の管理において、とにかく綿密にスケジュールを立てるタイプだった。旅行に行くのもそう。計画性のない人を見るだけで、イライラしてしまうような人間であった。
番組が紹介したのは、全く正反対ともいえる、ヒッチハイクで旅をするフリーター桑原進一郎(20)さん。行きあたりばったりのヒッチハイクで、熊本から栃木まで来ていた。
桑原さんは、青柳さんと1日過ごしてみて、青柳さんに対する感想を次のように伝えた。
私は、この言葉にものすごくドキっとした。私に関して言えば、図星だからだ。それのどこが悪いの?と思う一方で、痛いところを突かれたと思った。桑原さんは続けた。自分自身と話しすぎなんじゃないかなと思った。
心の中で何か引っかかる事があったりしたら、まず人に話す前に自分自身と話すじゃん。自分の中で二人の自分がいるとしたら、すごい葛藤があってさ。それって一番疲れない?
何をするより、自分と話すことが俺はすごいシンドイからさ。俺が人任せなのかもしれんけど、(人の)声を聞いたほうがやっぱ楽しい。
話を聞けばこの桑原さん、ただの無計画な風来坊ではなかった。ヒッチハイクを始めた本当のきっかけは、両親が離婚し、リストラにあったり人に騙されたりして自暴自棄になり、生きていく事が辛くなり、とにかく一人でどこか遠くに行きたいという、投げやりな気持ちからだったという。
ところが、旅先で実際に触れ合う見知らぬ人々は、みんな優しかったそうだ。
優しさに俺は救われている。それで生きていける。死に場所を探しに旅に出たけど、もう全部が敵と思ってたけど、実は全部味方だったんだ。
ここで学んだのは、決して 『ヒッチハイクのすすめ』 という事ではない。ただ、『心を開いて、他人の声を聞いてみよう』 そんな事を教わったような気がしたのだ。
最初は嫌がっていた青柳さんも 『これからもヒッチハイクをすることは私はないんですけど』 と笑いながら断った上で、『桑原さんのような大らかな人間に接する事で、自分も寛大になれる気がする』 と、この旅の成果を語っていた。寛大かあ。青柳さんは、薄々”自分に厳しすぎる”という自覚があるのだろう。きっと過去の私も、自分に厳しすぎたのだろう。もっと色んな人に触れて、受け入れて、自分にも”寛大”になれればよかったなと、今さらながら自省した。
どうか青柳さんには、計画に押しつぶされて体を壊すことのないように、心に”遊び”を持ってこれからの人生を豊かに過ごしてほしい。
#そういう私は今週と来週のスケジュールがぎっしりだ・・・。気が重い。
そしてお医者さんも看護師さんも、スタッフみんながテキパキと働いている。私は働いている女の人を見ると、今の自分と比べてしまうのか、過去のイキイキとしていた自分を思い出すのか、無性に悲しくなる。
説明をしてくれた夫の主治医は、女医さんだった。自信ありげな完璧な説明と、断言する口調。威圧するような目。私が『夫の病気の原因は、ストレスとか過労という事はないんですか?』と尋ねたら、『誰がそんな事を言ったんですか?誰?誰もそんな事言ってないでしょう?外来の先生もそんな話はしていないはずですよ。』とキッパリ言われてしまった。なぜ私がそんなに怒られたのか、よくわからなかった。(たぶん怒ってないのだろうが。)
私はよくわからないショックで、病室に帰ってワンワンと泣いた。胃もキリキリと痛んだ。しまいには、『なんで私生まれてきちゃったんだろう。』と彼に訴えながら、過呼吸になりかけた。
こんなことで、毎日お見舞いに行けるか心配だ。看護師さんたちは、家族のためを思って面会時間や着替えの話をして下さるのだろうが、私にはそれが全て”やらなければならない事”に聞こえてしまう。私は毎日、着替えを持って彼のお見舞いに行かなければいけないのだ。そしてこれから自分の世話は、自分でどうにかしなければならない。
今までいかに毎日彼に頼っていたのか、思い知らされた。とても辛い。