南舘和可子(22)さんは、将来人を助ける仕事をしたいと大学の看護学部に入学したが、来年の卒業を目前にして自信をなくしているという。これまでいくつか実習を行ったけれども、失敗を恐れるあまり患者さんに自分から声をかけて必要なアドバイスをするのをためらってしまい、患者さんとうまく向き合うことができなかったからだそうだ。
これに相対するのは、北海道の大学生・大滝雅史(20)さん。大滝さんは、札幌でホームレス支援を行うボランティア”北海道の労働と福祉を考える会(労福会)”の事務局長である。労福会はこの9年間、夜回り、炊き出し、散髪、生活保護の申請の手伝いなど、毎年40人前後の人が路上生活から抜け出せるよう手助けをしてきたそうだ。
大滝さんが南舘さんに最初に言った一言に、私はドキっとした。
わかっている。私もブログで偉そうな事を書きなぐっている割には何もしていない傲慢さに、うすうす気付いているのだ。そこを指摘されたようで恥ずかしさすら覚えた。人助けをするときに自信があるってキモイって思いますね。最初からできてるって思うほうが不安って言うか、傲慢だし。
さらに大滝さんから見た南舘さんの第一印象を聞いて、胸が痛かった。
大滝さんも中学高校の頃は理屈っぽい性格で、”自分は何もやってないけどやってる人に対しては批判する”というタイプだったそうだ。しかしある日振り返ってみると、すごく立派な理論を持ってるかもしれないけど何もしてない自分に気がついたという。完璧主義じゃないですけど、ちゃんと仕事できないんだったらやっちゃいけないみたいなところなのかな。でも最初から仕事を完璧に出来る人なんて誰もいないじゃないですか。そこをもうちょっと柔軟に考えたほうがいいのかなって思う。
確かにそうなのだが、何かが怖いのだ。大滝さんの話を聞く南舘さんも、『頭ではわかるんですけど・・・』と言いながらも、最初の2日間は悩んでしまっているようだった。それと比べた時に、行動するっていうことは不可避的に間違いを含むと思うんですけど、結局行動しなかったら誰も救えないのは間違いないんで。
南舘さんは言う。
私は”周りの目が気になる”、”イイコでいたい” という南舘さんの気持ちがすごくよくわかった。人からはみ出すことをするだけで叩かれる今の時代、それで見て見ぬふりをするようになってしまった人は多いのではないだろうか。むしろ南舘さんのように、それでも人助けがしたいと思うだけ立派なことだと思う。人に影響を与える事、それっていい影響を与えるかもしれないですけど、もしかしたらこちらの行動とか言葉一つでその人にとっては良くないと思うような影響を与える可能性もありますよね。そういう風に関わるってことは、私の中では人の嫌な事をするのってすっごい怖い。やだなって思うんですよ。
けれどもそのとき、大滝さんの一言が胸を打った。
ああそうだ。それが”傲慢”だというのだ。上から手を差し伸べただけで、誰が手を握り返してくれるというのだ。それで結局何もしないんだったら、意味ないじゃないですか。それで相手を助けたいっていう神業的な事ができるんだったらいいですけど、それで今足がすくんで動けないっていう状態じゃないですか。
自分だけ安全地帯にいて、っていうか自分楽して人助けなんかできない。
3日目。実際に大滝さん達が支援しているホームレスの志村さんという男性の話を聞いた。『最初はもう面倒くさかったよ。わしに文句あんのかこのやろうって思ってさ。』という志村さんは、大滝さん達への今の思いを語った。
大滝さんは、そんな志村さんの言葉を聞いて『嬉しい』と素直に喜びつつ、こう語った。結局はうちらを心配して来るんだから。昨日も夜回りで怒られたでしょ。その人だって別に俺なんか関係ないんだから、親でもないし兄弟でもないんだから怒る必要ないんだけれども、俺にちゃんとしてほしいからああいう風にああだこうだ怒るから。
それに対しては俺はありがたいと思うよ。怒ってくれるって言うのは。
人と向き合うことは、相手と同じ目線に立つこと。相手に自分の感情をモロに見せること。それだからこそ自分も傷つき、相手が傷つくときがあるのかもしれない。怖い。怖いけど、それをやらなければ何もしていない人と同じこと。理屈ではわかるのだが・・・。人助けをするっていうことは、深いところをつく。ようするに必要であれば相手のためを思うからこそ、相手にとってちょっと聞いてやだなって思うことも言わなければならない場面が出てくるんだよね。
最後のダメ押しに、志村さんは笑いながら南舘さんに言った。
それを聞いた南舘さんは、何か少しふっきれたようだった。一回怒られな!一回怒られればね、自分で勇気もてるよ。
これを聞いて、私自身も本当に怒られたことがないのかもしれないと思った。感情的に怒られて萎縮してしまった事ならたくさんあるが、心をさらけ出して本気でぶつかって怒られたことがないのかもしれない。怒られたほうがいいっていうのは、私もちょっと思いました(笑) なんか私、怒られたことってないんだなって。それでいちばん怖がってるんで、ダメもとでやって怒られるべきなのかなって。
まだまだ私が”人助け”をできるようになるのは、先になりそうだ。
ここで、「小さいことにくよくよするな!
しかし、『その間にも町には飢えた人たち、話し相手を求める老人達、育児に手を貸して欲しい母親達、ゴミだらけの路地、ペンキ塗りが必要な家など、あなたの手を借りたい多くのことがあふれているのだ』とリチャード。「もっと人のためになることをしたいんだが、いまはなにもできない。いつか、もっと成功したら多くの人のためになることをするよ」
いつまでも、あとであとでと言っている場合ではないのかもしれない。小さな親切をしたところでなにも変わらないじゃないか、という思いにとらわれすぎると欲求不満になり、その無力感を口実にしてなにも行動しなくなってしまう。