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同じなのだ
 昨日から、NHK教育テレビの『福祉ネットワーク』「自殺と向き合う」というシリーズが始まった。うつ病と自殺は切っても切れない関係であり、私はこの番組を録画して見た。

 番組が始まると、なんとなく居心地の悪さがあった。というのも、番組の主旨が”世界的に経済危機が広がる中、景気悪化と自殺対策について考える”というものだったからである。
 私には働いている夫がいる。住む家もある。経済的に追い込まれている訳ではない。なんと贅沢でわがままなんだろう!比べてどうなるわけでもないのだが、さすがの私もそう申し訳なく思った。以前ブログでもとりあげた、東尋坊の番人・茂幸雄さんや、NPO法人『蜘蛛の糸』代表・佐藤久男さんが紹介されていて、お二人の尊い活動を本当に頭の下がる思いで見た。

 ただ、番組を最後まで見ていたら、NPO法人ライフリンク代表の清水康之さんの話にハッとした。こんな時代でも、自殺までいってしまう人の問題は経済的なものだけではないという。誰にも相談できずに孤立して一人もんもんと思い悩むなど、経済的な問題と同時に心の問題も抱えているという事が見落とされがちなのだと。2つの問題は、一緒に解決しなければならないのだ。

 派遣切りにあって住むところを失い、東尋坊で茂さんに保護された32歳の男性は、保護されたことについてこう話していた。

「人の暖かみが欲しかったのかなあって。暖かかったです。言ってくださる言葉とか。だからもし、僕のような同じ悩みを抱えてる人とかおられるんだったらやっぱり、周りに打ち明けてほしいなあって。」

人間にとって何よりも辛い事は、孤独。どんな状況でもそうなのだ。やっぱりそうなのだ。同じなのだ。
(番組は4日シリーズだそうです。)
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編み物療法
 薬によって持ち上げられた活力と、いつまでも下がったままの気力という、アンバランスな精神状態を持ち合わせた私は、他の人から見たらさぞ挙動不審なのだろうと思うような行動を、家でとっている。椅子に座っては立つ。立ち歩いては床に寝転ぶ。ごろんごろんと転がりながら起き上がってはまた立ち歩く。歩き疲れて椅子に座る。そんなことの繰り返しだ。

 軽い散歩や買い物、軽い家事をすませる事ができるようになったことは、確かに嬉しい。けれどそれ以外のダルい時間、ずっとそわそわして落ち着かないのが困ったものである。
 ジグソーパズル、クロスワードパズル、ナンプレ、PCのミニゲーム、等々いろいろと手を出してみたが、どれも集中できずにやめてしまった。

 そんな中、唯一がむしゃらにできたのが編み物であった。両手を使って単調な作業をしていると、心が無になるというか、気がつくと時間が過ぎている。こういうのを”作業療法”というのかなぁと思う。

作業療法の定義
 身体又は精神の障害に対し、応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行わせること(作業療法士法)

入院中も、作業療法士さんによるアートプログラムというものが週に1回あって、私はよく参加していた。モノを作るのは確かに楽しい。けれども、後の事を考えるとゴミ(?)を増やすだけのような気がして、自分ひとりでやるのは躊躇していた。

NEC_0054.jpg 昨日は、フェレットの寝袋を作るという名目で、100円ショップで買ってきた3玉の毛糸を使って、帽子を編んでみた。スキーに使えそうな帽子。(写真左)
 新しい物がすきなどんぐりちゃんは、さぞ喜んでくれるだろうと思いきや・・・・。

NEC_0055_20090327092137.jpg 古いバッチイ白い帽子の方が、好きなのだそうだ。ちょっとがっかり。(写真右)
 所詮そんなものだよと思い出したのは、私が中学生の頃、母が買ってきたトラディショナルな洋服を、私が全く着なかったことだった。私はいつまでもお気に入りの流行りの服を、ヨレヨレになっても着ていたものだった。あのとき、母はさぞがっかりした事であろう。

親の心、子知らず
 親が子を思う気持ちが通じないで、子は勝手気ままなものであるということ。



薬による自分
 精神科の薬とはこわいもので、つい先日までダラダラと床の上に寝てばかりいた私が、今日は朝からむずむずして、先ほど買い物へ出かけるまでになった。

 最近はやり(?)のエビリファイという薬は、もともと統合失調症の薬ではあるが、抗うつ薬と合わせて服用する事で、意欲を高める効果が期待できる薬でもあるそうだ。入院中にパキシルと一緒に服用したところ、私にはきつすぎたようで、ろれつが回らなかったり、指が震えて字が書けなかったり、不眠になったりしたので、一度はやめていた。
 だが退院後、パキシルに変えて服用していたアナフラニールでは、まだ気持ちの底上げが十分ではないということで、再びエビリファイを追加したのが1週間ほど前のことになる。

 ここ2~3日、どうもそわそわして落ち着いて座っていられない。かと言ってやることもないので、家の掃除をしてみたり、散歩に出てみたり、ある意味、快方にむかっているような行動力を見せるようになった私である。けれども、私は思う。この自分は、果たして本当に自分なのか。あらかじめ薬の効能を聞いているだけに、これは薬によって脳が刺激されて突き動かされているだけなのだと思うと、動くことによる”喜び”を感じることができないでいる。むしろ、動かされているという”疲労”を感じてしまうのだ。

 薬とはなんだろう。このままエビリファイを飲み続ければ、意欲に満ち溢れる元気な私でいられるのだろうか。それは本当に私といえるのだろうか。

おはぎはご飯か?
2009.03.22 Sun 19:09 | 日記 | 日記
 私がちゃんと働けないので、申し訳ないが、夜ご飯はたいてい買って来たお惣菜やお弁当ですませている我が家である。今日はカイロプラクティックの帰りに夫と2人でデパ地下へ行き、それぞれお弁当を見てまわって、好きな物を買って来た。

 夜ご飯。夫の食卓を見ると、おはぎが置いてある。『あぁ、お彼岸かぁ。』と思ったのもつかの間、私は待てよ?とおはぎを二度見した。

私 「ねぇねぇ、おはぎっておやつじゃないの?」
夫 「えええ?ご飯でしょ?」

おはぎをおやつとしか思えない私には、とにかくびっくり仰天である。あわててネットでいろいろ調べてみたが、地方によるのか家庭によるのか、どちらの意見もそれぞれ多数見つかった。つまりそれは風習によるものであって、どっちが正しいとか間違っているとか言えないのだ。

 困惑している私にむかって、夫が続けざまに言った。

夫 「それじゃあ、ぜんざいを夕食に食べるのが変ってことになるじゃん。」
私 「えええ?ぜんざいはおやつでしょ?」

私はとにかく、”あんこ”を主食にすることに抵抗がある。おはぎもぜんざいも、夜の食卓に出るのは、やっぱりありえないと思う。許せないと思う。
 こんな私の許容範囲の狭さが、うつという病気がなかなか治らない理由なのかもしれないが。

自分と時間
 ここ数日は、初夏の陽気である。どうしても天気に左右されやすい私の体調であるが、いい天気が続くと少しだけ何かをしてみようかなという気分になる。
 今朝は洗濯と掃除を頑張ってみた。汗をかいた。

 それから録画していたビデオを見た。『課外授業~ようこそ先輩~』。舞台役者であり劇作家の高泉淳子さんの回だった。

 小学生の頃は明るく自由奔放な高泉さんだったが、中学に入って一変したそうだ。それまでズボンで走り回っていたのに、制服のスカートをはかなければならず、高泉さんは自分が変わっていく事にとまどっていたという。

 なんか自分がどんどん違う力で変えられていくっていう恐怖感と抵抗感があったりして、すごく嫌だったの。本当に変わりたくないって・・・

 自分を取り巻く環境はどんどん変わっていくけど、必ずしも心が追いつくとは限らない。でも時間は止まってくれない。私は番組を見ながら、これは小学生から中学生への目で見てわかる変化だけではなく、大人になった今でも同じだなぁと思った。日々自分や自分をとりまく環境が変わっていくことが怖い私である。

 高泉さんの授業は、”80歳の自分を体験してみること”だった。その上で、80歳の自分が 『80歳まで変わらずに持ち続けたいものを13歳の自分に伝える』 という課題であった。高泉さんは、授業の最後にこう言った。

 私達は戻る事ができない。先に進むことしかできない。今日と同じ日があればいいななんて思うけど、もうない。これはどんなことがあっても、なにがあったって、嫌でも変わっていくの。
 だけどね、この気持ちは変えたくない、あの時の僕が好きだった、これじゃ俺じゃないだろ、と思ったら、かなりの意志をもってそう思わないと、ドンドン変わってく。
 思ってみてください。それが大事な事。


 私は、今の自分を省みた。将来が見えないといって、絶望してばかりいる。けれども、もし私にも運よく80歳の時が来るのならば、今の自分を見てどう思うだろうか。80歳から見ればまだまだ若いこの瞬間を、何ともったいないことをしているのかと思うのではないだろうか。
 世の中の変化についていけないと悲しむだけが、私にできる事?落ち込んで引きこもるだけが、私がする事?そうじゃないだろうと、高泉さんの授業は教えてくれたような気がする。

 意志を持たないとドンドン変わっていく・・・この言葉が、私の胸につきささった。

悲しみの根拠
 入院中に認知行動療法のプログラムを受けた私は、今の自分が『負の自動思考』に陥ってしまっていることを、頭では理解している。負の思考が浮かんだ根拠はどこにあるのか?もっと別の考え方はできなのか?とにかく客観的事実をたくさん並べて、その中から負の思考と反する事実を見つけよう・・・頭ではわかっている。

 けれども、それでも現実は厳しすぎる。私は依然として日中ひとりぼっち。やる事も、できる事もない。私を必要としている人も、果たして本当にいるのかどうか不明である。
 社会は未曾有の大不況で、セーフティネットが崩壊している。私だけが苦しんでいるわけではないし、もっと苦しんでいる人も、もっと孤独を感じている人もたくさんいるであろう。だからといって、どうして私が安心できようか。何かと比較して得られる楽観など、ほんとうに正しい思考だと言えるのだろうか。

 悲しい。自分が、社会が、未来が、悲しい。どうしても、涙が止まらない。

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