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クラクション
2009.04.27 Mon 10:02 | エッセイ | 小説・文学
 昨日納車された私の車。あちこちいじり回したはずなのだが、そういえばクラクションの音を聞いていないことを思い出した。

 クラクション・・・私が車には不要だとおもっている機能のひとつである。都会のドライバーはとかくイライラしている人が多い。必要もないのにクラクションをブーブーと鳴らす人ばかりである。特に危険でもないのに、”抗議”の意味であとから鳴らすクラクション、”どけどけ”とばかりに周囲にばらまくクラクションが大嫌いだ。ただでさえ大きな音が苦手な私は、他人のクラクション音を聞くだけでひどく不快な気分になる。

 一方で、”ありがとう”の意味のプッという軽いクラクション合図は、好きである。ちょっと道を譲ったり、狭い道の手前で待機していたり、そういう何気ない気遣いに対するお礼、というコミュニケーションのプッには、顔がほころぶ。
 私も小さい音でお礼のクラクションを鳴らしたいのだが、これがなかなか難しい。力加減がよくわからなくて全く鳴らなかったり、うっかり大きな音が出てしまったりする。もう車もこれだけ電子化されているのだから、クラクションのボリューム調整やバリエーションがあってもいいのではないかと思う。

 というか、もうクラクションは全部小さい音でいい。みんながみんな、譲り合いの精神をもって周囲に注意して運転していれば、大音響のクラクションなど必要ないのに。

車がやってきた
NEC_0099s.jpg 今日は大安。少しでも行動範囲が広がればと、自分専用の車を買った。お気に入りの『フェレットが乗っています』ステッカーも貼った。だが気分は晴れない。
 これで、「車がないから外にでられないの」という大義名分が使えなくなってしまったと思う。どこかにまだ、自宅にひきこもっているほうが楽だというなまけ心があるようだ。色々考えると負のスパイラルに陥ってしまいそうなので、考えるのはやめよう。

 とにかく事故がないように、それだけは気をつけたい。


鬱の友達
 入院仲間の友達から相談があった。彼女にはもともと鬱友達がいて、2人でいたわりあい支えあっていたのだが、彼女だけが3ヶ月の入院生活を経て前向きになってしまったため、2人の依存バランスが崩れてしまったのだそうだ。いま彼女は、その友人のウツウツとした話を聞くと、イライラして仕方がないという。

 私にはその友人の気持ちがよくわかる。鬱の友達とは、依存関係に陥りやすい。それはお互いに気持ちがよくわかるから。人恋しく寂しいから。そしてその唯一の友達に見捨てられるのが怖いがために、相手が快方に向かうと、いつまでも自分を必要としてもらおうとして足を引っ張ることもある。

 私にも、ネットを通してできた鬱友達が何人かいる。その友達が自分のほうを向いていないと感じたときの『見捨てられ感』は恐怖ですらある。ただ、認知療法を経験した今では、それらはすべて自分の思い込みで、決して全世界から見捨てられている訳ではないことがわかるようになった。他にも友達はいること、何より大切な家族が愛してくれていることを冷静に考えれば、「そんなのたいした事じゃないじゃない。」と思えるようになった。

 けれども彼女のように、自分が「自立する側」の場合はどうだろう。決して見捨てるわけではないのだが、彼女はその友人にどう接したらいいのか。友達を大切にする心優しい彼女だけに、むずかしい問題だ。

まだまだ乾燥
2009.04.22 Wed 09:25 | フェレット | ペット
 昨日、フガフガと苦しそうに咳やくしゃみをしていたフェレットのどんぐりちゃん。あれから一晩、加湿器をつけて寝てみた。すると、今朝のどんぐりちゃんは、見事に静かに呼吸をしている。すっかりよくなったようだ。

 暖かくなって、わたしたち人間は乾燥の事などすっかり忘れてしまったが、フェレットにとっては湿度30%はまだまだ大敵の乾燥状態なのだった。
 そういえば1年半前に、ほとんど同じ記事を書いたことを思い出した。歴史は繰り返すというか、学習していないというか、本当に自分勝手な飼い主でごめんなさい、どんぐりちゃん。

フェレットのくしゃみ
2009.04.21 Tue 17:00 | フェレット | ペット
 今朝からフェレットのどんぐりちゃんが、咳やくしゃみをして止まらない。寝ている途中でもくしゃみで起きてしまったりして、なんだか落ち着かないようだ。クシュクシュ、フガフガと何か言っている。アレルギーなのか?風邪なのか?それとももっと重い病気なのか?
 今週末には、副腎腫瘍のホルモン注射をしに動物病院へいく予定だったのだが、それまで持つのだろうか。車は夫が通勤に使っていて、平日の私たちには足がない。こんなときにもう一台車があればいいのになと、痛切に思う。

ポッカリと
 投薬治療の甲斐あってか、最近の私は忙しい。何がそんなに忙しいのか自分でもよくわからないが、とにかく字のごとく『心を亡くして』いる状態である。頭の表面では、常にそわそわと次に何をしようか考えていて、体も一箇所に落ち着いてとどまっていることがない。気持ちはいつも外を向いていて、自分自身に対する疑問がひとつもない。果たしてこれは、健康な状態なのだろうか。昔の自分がこうだったのか、記憶が遠くて思い出せない。

 相対的にいえば、いつもいつも「早く死にたい」と泣いているうつ状態よりは、ましなのかもしれない。けれども、私には、今の私はあまり人間的でないと思える。自らの命に終わりがある事を知っているのは、動物の中で唯一ヒトだけという。だからこそ、自分の存在に悩み苦しむことの方こそが、人間らしい行動に思えるのだ。

 待てよ。あんなに苦しんでいた生活に、また戻りたいというのか?贅沢な悩み?はたまたマゾスティック?考えがまとまらない。頭の中がモヤモヤする。この状況をうまく先生に説明するのは、難しい。
 とにかく今は、つい最近まで心があった場所に、ポッカリ穴があいている。