私などはうつになってから、何事にも関心がなくなったというせいもあり、当然食べることにも興味が持てなくなった。目の前に出されれば食べるが、そうでなければ作るのも食べるのも面倒くさい。点滴やサプリメントだけで生きていけるのなら最高だと思っていた。(最近”過食”ぎみなのは、また別問題。)いつ、どこでも食べたいものが手に入る「飽食ニッポン」。しかし今、生きていく上で欠かせない営みであり、日々の喜びであるはずの"食べる"という行為が軽んじられる時代になっている。若者たちにとって、今や主食はスナック菓子やアイスクリーム。その結果、栄養不足に陥り、血液に異常を抱えるケースも増えている。さらに食べることに関心がなく、サプリメントで最低限の栄養さえ取ればいいと考える人も増え続けている。(番組ホームページより)
番組では、食事をとる環境が心に及ぼす影響がについて、少しとりあげていた。
福岡の心療内科医・森崇先生によれば、うつなどで入院している若者のほとんどが、家族で楽しく食卓を囲んだ経験がないことが明らかになってきたそうだ。幼い頃に食卓でのコミュニケーションがなかったことが、対人関係をうまく築けない原因の1つになっていると考えられるという。
はて、どうだろうと思った。私の家では、幼い頃は一家そろって食事をしていた。多少ケンカが多かったかもしれないが、食事はみんなで食べるとおいしいというのは知っている。それでも、私がこのようになってしまったのは、大人になって忙しく仕事をするようになって、1人で夕食を食べることが多くなってしまったからのような気がする。忙しい中1人で食べるぐらいなら、食べなくてもいいと・・・。
食べ物と、生きることの結びつきは深い、と番組はいう。ゲストの料理家・辰巳芳子さんは、食に無関心な若者に対して、こんな事をおっしゃっていた。
なんだか壮大な話になっていったが、とにかく食べることは、健康な心を作る上でも大切なことのようだ。食べ物というのは、必ず自分の命を守るはずのものを食べてほしい。自分の命への手ごたえを必ず感じるはず。手ごたえというものは、自分の命を頼ること、信じることにつながる。あらゆる物事、人に対して信じられるということにつながっていく。
この信じるという人間的なことがあって、初めて人間というのは希望が持てる。信じられることと希望が持てる中で、本当に愛するということを学んでいく。これぬきに人生は考えられない。
私は心が治らないと食生活も治らないと思っていたのだが、番組を見ていたら、もしかしたら逆に食生活を改善することで心の健康を取り戻すことができるのかもしれないとも思った。私が食事をするために、どれだけの殺生がされ、どれだけの人の手を借りているのかを考えれば、『どうでもいい』などと思えなくなるだろう。頭ではわかっているのだが。・・・でもやはり食事は面倒くさい。まだ気力が十分ではないのかな。
たとえば今も私は、抗うつ薬の副作用の1つである”起立性低血圧”をおさえるために、昇圧剤を飲んでいる。副作用(と思われる症状)を抑えるためにさらに薬を飲むというのは、なんだか変な気がする。こんなことの繰り返しだったら、いつまでたっても薬が減らないのではないか。
そう思う私は、焦りすぎているのかもしれない。
いま、うつ病などの精神疾患の患者が300万人と急増する陰で、抗うつ薬の副作用の問題が指摘されているという。10年前の全日空機ハイジャック事件の犯人は、服用していた抗うつ薬の副作用による心神耗弱状態が認められ、死刑の求刑に対し無期懲役の判決が出たそうだ。
抗うつ薬の多くは神経伝達物質を増やす働きがあるので、神経伝達物質が減少する事によって生じる不安感、不眠、頭痛、無気力といったうつ症状が改善される。しかし、抗うつ薬を多量に与えると神経伝達物質があふれて感情のコントロールが効かなくなる場合がある。これが自殺願望などの異常行動を起こすと考えられているようなのだ。
杏林大学の田島治教授は、抗うつ薬という医薬品を、次のように説明する。
抗うつ薬という言葉にごまかされてしまうけども、うつ病にだけ効いてるというのではなくて、あくまでも脳に作用している。恐怖感がなくなる。本来ご本人が持っていたそういう衝動のコントロールが悪くなる。
抗うつ薬は諸刃の剣で、上手に使えば病気の治療にプラスになってくる。やはり慎重に使わないと、思わぬところに効果が出て、穏やかだった方が衝動的になったりする。お薬で解決すべきこととお薬で解決できない問題がある。全部うつという症状。医者のくすりの出し方があまりにも甘すぎる。
私は、抗うつ薬のこうした副作用の面を、全く知らなかった。副作用といえば、めまいや震え、吐き気といった身体症状だけなのかと思っていた。
そんな中、さらに番組でショッキングな報告を聞いた。4年前、大阪の19歳の男性が自殺をした。彼は中学1年からうつ病で、6年間抗うつ薬による治療をうけていたという。その抗うつ薬は、私も飲んでいる”アナフラニール”だったようだ。彼が自殺したあと、国は、『アナフラニールは24歳以下では自殺のリスクが増加』と、警告を出したそうだ。アラフォーの私には関係ない話かもしれないが、私は自分が飲んでいる薬の、こんな恐ろしい副作用のことも知らなかった。知らないで薬を多量に飲んでいるのは、怖いと思った。
抗うつ薬の副作用に関する厚生労働省の見解は、以下のとおりとのこと。
副作用による自殺や暴力が注目されている。症状悪化は治療過程で現れるので注意を払うこと。患者・家族と密接な連絡をとり、抗うつ薬を適正に用いるよう医療関係者に注意喚起している。
現実には、医師が患者やその家族と密接に連絡をとるのはむずかしい。それでも、我々患者は自分自身を守るためにも、医師に薬の副作用について、もっと詳細に確認するべきだと思った。日々のちょっとした感情の起伏についても、医師にもっと報告するべきだと思った。
私のように、よくわからずに安心しきって抗うつ薬を飲んでいる方もたくさんおられると思うので、警鐘を鳴らすために本記事をメモしておく。
ただただ、みんなから置いてけぼりになったような孤独感と、「迷惑をかけてごめんなさい」という罪悪感でいっぱいになった。
私は、ふとたち上げていたTwitterで、こんなことをつぶやいてみた。
今までも、つぶやきに返事なんて来たことがない。なにも期待せずに、本当にボソっとつぶやいただけだった。ところが、今日は違っていた。1分もたたないうちに返事が帰ってきた。昨日フォロワー(私のつぶやきを受信してくれる人)になってくれた男性からだった。疲れたときは疲れたって言っていいよね
私は、初めての返事にどきっとした。それ以上に、その言葉がすごく嬉しくて泣きそうになった。返事はそれだけではなかった。それからたてつづけに違うフォロワーの方々から2通。お好きなように
今まで、孤独だ孤独だと思っていたネットワーク。まるで初めてチャットをした日のように、目からウロコが落ちた瞬間だった。そして、そのうちの1人からこんなヒントをもらった。もちろん。
お疲れさま~^^
ためしに、buzzterというTwitterの発言分析システムで、”疲れた”という言葉を調べてみた。すると、ズラっとならぶ”疲れた”という発言の数々。この10分間で15人もの人が”疲れた”という言葉をつぶやいていることがわかった。「検索」で「疲れた」って入れて検索してみたらみんな疲れてるのがわかる。
さらにbuzzterには興味深い統計グラフも表示される。下のグラフは、”疲れた”という言葉がどのぐらいの頻度で発言されているのかを、過去一週間にわたって表示したものだ。毎日毎日、午後からじわじわと増え始める”疲れた”は、深夜にピークを迎え、明け方には収束するということがよくわかる。

私は、面白いなぁと思った。疲れているのは、私だけではなかった。そして、それを「いいよ」と肯定してくれる人々がいる。自分が肯定されたように感じたとき、本当に嬉しいという気持ちがわいてきた。そんな感覚を発見できただけでも、私の疲れは少しだけ癒されたような気がした。甘えてすみません。みなさんありがとう。
今回は、肩下20センチまで伸びていた髪を、バッサリ切った。フィットネスクラブで髪を洗うことが多くなって、長すぎる髪を扱いあぐねていたからだ。首までのショートボブ。うつになる前の、昔の自分に戻ったような気がした。あの頃より、少しだけ顔が丸い。
こんなに切ったのだから、さすがに気づくだろうと思っていたが、夫は私の髪の変化に気がつかなかった。「あのー、髪切ったんだけど。」と宣言したら「あ、ほんとだ!」と、やっと気づく程度。ちょっとさみしい。私の父親もそうだった。会社の同僚もそうだった。なぜ世の男性は往々にして、こういうことに無頓着なのだろうか。