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私はここにいる
 ビデオを整理していたら、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」のFILE074:「私は ここに いる」(6月9日放送)を見つけた。この回は、目が見えず耳が聞こえない東大教授・福島智先生(障害学)の回だった。

 私は今朝まで”宇宙にたった一人置き去りにされた”と思っていたが、福島先生の感じた孤独感はもっとすごかった。先生は「集団の中で自分だけが取り残されてる」という辛さを、こう表現した。

 自分がこの宇宙にはいない、この次元にはいない、別のところにいってしまったようなすごい孤独の絶望を感じた。

私はまだまだ甘えているんだろうなあと、思わざるを得なかった。

 その福島先生が、爆笑問題に難しい質問をした。

 社会が求めている仕事ができないすごく重いハンデをもった人達は、生きる意味はないのか?

これには思わず太田さんも「ピンと来ない。わからなくなっちゃう。」とうなっていた。私自身も今現在、うつのために社会が求めているような仕事が満足にできない状態で、自分には生きる意味はないと思ってしまう。その考えから逃げ出すのにとても苦労をする。これはどう考えればよいのか。
 福島先生の答えはこうだった。

 意味はないと言っちゃえば、おそらく地球上の人間全員意味はないんです。たかだか何億円か収入があったとしてもそれだけのこと。何十年か生きて宇宙の原子に帰っていくだけのこと。
 だけどそこにもし意味があるんだと考えれば、豊かな人も貧しい人も障害がある人もない人も、とりあえずみんな生きてる意味はあるよね、という話だけのこと。

わかったようなわからないような・・・。生きる意味を考える上では、貧富の差や障害の有無といった、社会が決めたようなルールは関係ないということなのだろう。

 続けて福島先生は、アウシュビッツの収容所に入れられた経験のあるヴィクトール・フランクルという人の本の話をしてくださった。

彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
  絶望=苦悩-意味
意味がない苦悩が絶望である。苦悩と絶望は違うんだ。
   (中略)
 苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見出させれば、それは絶望ではない。新しい豊かな人生が見つかるかもわからないっていうふうに思っています。

これは、とても新鮮で興味深いお話だった。今までは”生きる意味ってなんだろう?”と、”意味”の内容ばかりグルグル考えていた私であった。けれども、この公式からは、”意味を考えること”、”意味付けをすること”そのものが大切なのではないかと気付くのだ。
 ヴィクトール・フランクルのように例えて言えば、
  生きる=命+意味
という公式はどうだろうか。生きること。命をもらったからただ生きるのではなく、その意味を考えてこそが生きること。意味を見出せれば、それはもはやただの命ではない。考えながら生きていく。そんな風に思えるようになってみたら、少し楽になってきた。

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