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生物が生物である理由
 別に爆笑問題のファンという訳ではないのだが、どうも毎週感想を書いているので、今さら急に書かない訳にはいかなくなってしまった。検索キーワードでもたくさんの人が私の感想を見に来てくださっていたり、もうすっかり「爆笑問題のニッポンの教養」ウォッチャーである。
 今日のテーマは『生物が生物である理由(わけ)』で、分子生物学者・福岡伸一教授を爆笑問題の2人が訪ねた。福岡教授は、今年「生命(いのち)」についての思索をまとめた「生物と無生物のあいだ」というエッセイがベストセラーになるなど、長年の研究生活を通じて「生命(いのち)とは何か?」という根源的な問いを胸に秘めてきた方である。今回もテーマがテーマだけに、最後はやはりまた哲学的な話になっていた。

 研究内容のお話については、公式HPより引用させていただくと

私たち人間の体は分子レベルで観察すると、早い部分で数時間、遅い部分でも一年の間にすべて新しい分子に入れ替わってしまうという。私達の体は常に改修され続けているようなもので、食べることで得る様々な分子は体のあらゆる場所におくりこまれ、それまで体を構成していた分子と常に入れ替わりながら、また新たに体を築き上げて体を維持しているらしい。

つまり、今の自分の体は、たまたま今集まった分子で構成されているモノであるに過ぎない。一年前の自分の体とは、分子レベルでは全く違うものになっているというのだ。あの時のあの自分はもう死んだのだ。
 これは否が応でも、またしても「時間」というキーワードが出てきてしまう。

 生命は同じようにみえても、一瞬一瞬は一度しかない、その一瞬は二度と再現できない、とおっしゃっていた福岡教授の言葉が印象的であった。生命はどんな場合でも一回限り。どんなにクローン技術が発達しても、ある時間に存在した生命と同じ生命は不可能だ。生命はどんな場合でも一回限りなのである。
 「みんな昔とは変わってしまったのね」などと、最近よく感傷的になる私であったが、私の体こそが、毎日毎日変わっていたとは。私の脳みその中の細胞の分子だって、毎日毎日自らを壊しながら新しいものに作り変えられていたのだ。ここから何か、生き方や考え方を変えるヒントが得られそうな、淡い期待が感じられる話であった。

 そして、もう1つ印象に残った言葉があった。

研究をするというのは新しい文体を見つけること。私にしか言えない言葉を見つけることが楽しい。

科学も宗教も、昔も今も人類は何も進歩していなくて、同じことを繰り返し、違う言葉で表現しているにすぎないのだと、福岡教授は言う。それを、どう新しい文体で表現するか?新しいスタイルであらわすか?という作業が、研究者の役割なのだと言う。
 そういえば以前、東大の宇宙物理学・佐藤教授も、そんな話をされていた。人類自体がものすごく進歩することはないのだと。物理世界の秩序が急に変わる事もない。研究者は、単なる観察者でしかないのだと。
 そして、前回のスペシャルで太田さんが言っていたように、その観察によって自分が何かを発見した時の感動を、どれだけ言葉をつむいで、あるいは言葉を抜いて、いかに他の人に同じように感動してもらえるか、という仕事に命をかけているのが研究者なのであろう。

 さらに、福岡教授はこう続けた。

我々はなぜ勉強しなくてはいけないのか?それは自由になるためである。ある既成の概念とは違う見方ができるようになるためである。新しい知識を得ないと、新しい見方ができないのである。

自由になるために勉強するという考え方は、それだけを聞くと少し意外な感じではあるが、この番組の流れをずっと聞いていると、なるほどと思えてくる。
 ついでに私なりの考えを勝手に付け加えさせていただくと、それは知識だけではなく、知って考え、そして実際に実践したり、実験したり、体験したり。そういった経験も、自由になるための重要な要素なのだと、ちょっと思った。

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