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幼稚な自己愛
2007.10.31 Wed 10:32 | ひきこもり | 心と身体
 昨日の「爆笑問題のニッポンの教養」~ひきこもりでセカイが開く時~は、相当私に衝撃を与えたようだ。寝るまでずっと番組の内容を思い出して考えていたし、今朝起きてからも、ブログを訂正しないと、いやそれより追記しないとと、考え込んでいた。

 まず、昨日の斎藤先生の「心の病が治ることって?」に対する答え

精神医学の目標は「心を解放」「心の多様性回復」「心の自由度回復」によって、自分で結論を出せる状況にもっていってあげる事である。

であるが、どこかで同じような事を聞いたような気がした。過去ブログを検索したら、以前同じ番組の「生物が生物である理由」の回で、分子生物学者の福岡伸一教授が言っておられた言葉が出てきた。

我々はなぜ勉強しなくてはいけないのか?それは自由になるためである。ある既成の概念とは違う見方ができるようになるためである。新しい知識を得ないと、新しい見方ができないのである。

 そうか。私はもっと勉強しなければならない。心の勉強をしなくてはならない。今までの凝り固まった「既成の概念」とは違う見方をするために、心の自由を得るために、もっと新しい知識を得なければならない。もっと新しい考え方を知らなければならない。もっと自分から遠い、他者の考え方を知らなければならない。

 昨日の繰り返しになるが、ひきこもって何もしていない者は、そんな何もしていない自分に自己批判や自己否定を繰り返す。プライドが高いかわりに自信が全くない、まさに「自縄自縛」の苦しい状態。
 私も同じである。今の社会に許せない事が多すぎる。そんな自分が大嫌い。こんな世の中で生きていく自信がない。そんな自分が大嫌い。自分しか自分を理解できないと真剣に思っている。そんな自分が大嫌い。
 どうしてこんなにも、自分を好きになれないのだろう。もっとも幼稚な「自己愛」は「自分が愛する対象は自分しかいない」という考え方だそうだが、私はまだこの段階から成熟していないのだろうか。まずそこをクリアしないことには次に進めないではないか。

 高校時代ひきこもって友達がいなかった太田さんがふっきれたきっかけは、ピカソの「泣く女」だったことは以前も言っていた。太田さんはそのメチャクチャな絵にピカソの「なんでもいいじゃん。どっちもあるだろう人間なんだから。」というメッセージを受け取ったという。
 そのとき、今までの自分の美意識が高すぎた事を知り、自分が俗物であると「妥協」できるようになり、自分を許せるようになったという。それから次第に自分が好きになってきて、芸術作品を見るといいなと思えるようになり、そしてそれをいいなと思える自分が好きになり、また他人を好きになれるようになり、そんな自分を好きになり、どこまで行っても自分を好きになってきたという。
 斎藤先生いわく、それが「自己対象と有益な出会いをして自己愛が成熟していく過程」である。

 昨日、そういえば斎藤先生が言っていた。人には2つのタイプがあってコミュニケーションが下手な人と、コミュニケーションが得意な人がいる。これは必然であって、自分がありすぎるとコミュニケーションが下手になり、自分があまりないとコミュニケーションが得意になっていくのだと。
 爆笑問題の太田さんはおそらく前者であり、自分の意見を聞いて欲しい、自分に構ってもらいたい気持でいっぱいだと、田中さんが言う。何事も、自分の内面で起こることに感心があるのだ。

 私もおそらく前者であろう。自分がありすぎるのだ。誰かにそんな自分を気づいて欲しい。誰かに知って欲しい。誰かに構ってもらいたい。しかしそれに反して、困ったことに「妥協」ができない。極論のカードしか手元にないのだ。
 私の当面の目標は「妥協」を覚える事であろう。自分を好きになれまでとは言わないが、自分を諦めるのではなく、自分を許す。まずそれができればいいかな。

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