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サバイバー
2007.11.09 Fri 00:01 | エッセイ | 小説・文学
 見るともなしに「奇跡の生還!!九死に一生スペシャル 」という番組を見ていたら、いろいろ感動する救出劇を再現ドラマ形式でやっていた。その中で、ちょっと違った意味で感動した話があった。団地の火災で4階に取り残された親子を助けたのは、近所の元とび職と鉄筋工だったという話。消防車が来る前に、2人でベランダづたいに現場までよじ登って、取り残された親子を助け出したという。
 ああ!手に職を持っている人、腕に覚えのある人の強いこと!すばらしい!

 私なんて、いざとなると何もできないと思う。口しか動かないであろう。一応製造業なので「ものづくりが大切!」などと声高に叫んではいたが、実際何か作っていたのかと聞かれると、単なる研究と試作設計しかしていない。しかも製品化までこぎつけたものは、そのうち1つしかない。
 家の中の電気製品が壊れても、今のようなIC化された製品はほとんど直せない。どこが壊れているのかぐらいはわかるかもしれないが、それも設計図とオシロスコープがないとお手上げだ。あとソフトが組めるといっても、パソコンがないと入力もできないし、ハードウエアがないと動くものがない。

 それより手に職がある現場の人は羨ましい。家族にも「あれは私がつくったんだ」と、触って自慢することができる。ここ実はちょっと失敗しちゃってね~なんて、実物をなでながら思い出話もできる。
 あと、飛行機で「お客様のなかにお医者様はいらっしゃいませんか。」そこで手をあげるお医者さんもカッコイイ。実際に、そういう場面に会った事があるのだが、ざわざわしてちょっと拍手が起こったりして。何も見ないでも自分で何かできるって、すごい事である。「お客様のなかに電子回路技術者の方はいらっしゃいませんか。」なんて一生言われないだろうな。
 例えば大災害があったとき、私は誰かの助けになれるのだろうか。映画の脇役に出てくるぐらいの活躍はできるのだろうか。今の私は、レシピをみないと満足に料理も作れない。困った。

 仕事とは。目で見える形で、誰かに感謝される労働の対価として、お礼の意味でお金をいただくようでなければいけないと思うのだ。そもそもそれが「仕事」の本来の姿だったのだ。それでこそ働くことの喜びが芽生えるのだと思うのだ。
 マネーゲームで数分で何億も稼いだとしても、そこで何か得られるものはあるのだろうか。人に怨まれこそすれ、感謝などされるであろうか。一人だけお金を設けて、幸せを感じるのだろうか。ああ良かったと思えるのだろうか。ちょっと前に「お金儲けは悪いことなんですか」と開き直っていた人がいたが、 何か間違っている。紙幣など、価値がなくなったらただの紙切れ。まして数字上のお金なんて、それこそ実体のないバブルである。何もかも無くなってしまうような非常事態に見舞われた時、それで一体何ができるというのだろう。

 私はもう少し、人間として生きていくための知識と能力を身につけたいと思った。その前にまず、サバイバーとしての体力をつけよう。体を鍛えよう。それから何か免許をとろうか。それとも毒キノコの見分け方でも学ぼうか。
 今気づいたが、うつ病にしては、いい兆しのセリフではないか?!薬が効きすぎているのかもしれない。

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