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吉永小百合さん
2007.11.19 Mon 08:49 | アダルトチルドレン | 心と身体
 昨夜NHKスペシャルで『吉永小百合 知られざる“母”への思い』を見た。

 吉永小百合さんも、母親との関係が良くなかった事を、初めて知った。いわゆるステージママだったのだろう。その母親の願いに幼い頃からいつも答えていた彼女は、「いい子すぎた」のだという。自分の本当にやりたい事も言えずに、母親ときちんとぶつかりあうことができず、ずっと我慢していたという。いわゆるアダルトチルドレンの共依存の形が、そこには存在しつつあったのであろう。母親の期待に、全国民の期待に答える事に疲れて、20歳をすぎると、ストレスが原因で次第に声が出なくなったという。 

 でもそんな吉永さんは、ご自分では親離れができていたのか、母親から離れるために『親の強い反対を押し切っての結婚』という形を選んだのだそうだ。両親が出席しない、私服での、友人の家での結婚式は、他の友達から見ると不憫であったという。そして吉永さんは母親との関係を断ち切り、女優を休業した。人間として普通に生きたかったそうだ。
 強いなあ。私にはそんな事はできない。私も母から離れるために、ある意味うまいきっかけで別居という形を取ったのは確かだが、母との関係をキッパリ断ち切るなんて、決して出来ないことである。母と離れた今でも、母の顔色を伺ってビクビク過ごしている私は、弱虫だ。

 吉永さんのお母様が、吉永さんが家を出て行ったときに、人知れず詠んだ歌がある。

「悲しいね、悲しいね」と叫ぶごと去りにし娘の後ろ姿追ふ
「自殺するな」と吾れにさとせし老い夫の心の中を子達は知るや

お母様にとっては自分の分身であった娘を失って、身を引き裂かれるような、さぞ辛い思いであったのだろう。誰が悪いわけでもない。なぜこのような母娘関係になってしまうのだろう。
 私も母に、たまにこのような意味のことを、面と向かって言われる。「離したくない」「いつまでも手元に置いておきたかった」のようなことを言われる。そのたびに、苦い感情が心を支配する。決して嬉しい気持ちではない。苦しい気持ちだ。なぜ素直に「ありがとう、私もママの事大好き」と言えないのだろう。どうすればこの苦しみから逃れることができるのだろう。

 吉永さんはファンの期待に答えるように1年後に女優復帰を果たす。そして女優としての仕事を続けるうちに、映画にのめりこんでいったという。しかしその中で、幼い頃の夢「子供を産み母になる」という夢を諦めたのだそうだ。実の母親との葛藤の中考え抜いた末の決断。親子関係がうまくいかないから、自分が子供を持ったときにまた同じような形になるという危惧もがあった、と吉永さんは言う。

 娘に迷惑をかけたくないと、ガンになってからも最期まで一人暮らしを続けたお母様。お母様は、吉永さんの事を恨んでいるのだろうか。世の中の人は、こういう吉永さんを冷たい娘だと思うのだろうか。
 だが今、吉永さんは、新作の映画で『昭和の母』を演じるに当たって、母親の遺品を使って縫い物の練習をし、母親の詩集を読んで母の生きた時代を振り返っているという。子供がいなくても『母』の役を立派に演じる彼女には、やはりお母様の愛の思い出が溢れているように思う。彼女にとっても、お母様はやはり偉大な愛すべき存在だったのだと思う。

 お母様の詩集に、こんな歌があった。

子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
                ひと日ひと日をつとめて行かむ

あなたの人生なんだから、好きなようにお生きなさいと言っているように聞こえる。お母様も、最後は吉永さんの事を、一人の女性として、女優として認めていたのであろう。長い目で見たら、いい母娘だったのではないだろうか。

 さて私はどうしよう。このままでいいのだろうか。

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