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昨夜NHKスペシャルで『吉永小百合 知られざる“母”への思い』を見た。
吉永小百合さんも、母親との関係が良くなかった事を、初めて知った。いわゆるステージママだったのだろう。その母親の願いに幼い頃からいつも答えていた彼女は、「いい子すぎた」のだという。自分の本当にやりたい事も言えずに、母親ときちんとぶつかりあうことができず、ずっと我慢していたという。いわゆるアダルトチルドレンの共依存の形が、そこには存在しつつあったのであろう。母親の期待に、全国民の期待に答える事に疲れて、20歳をすぎると、ストレスが原因で次第に声が出なくなったという。
でもそんな吉永さんは、ご自分では親離れができていたのか、母親から離れるために『親の強い反対を押し切っての結婚』という形を選んだのだそうだ。両親が出席しない、私服での、友人の家での結婚式は、他の友達から見ると不憫であったという。そして吉永さんは母親との関係を断ち切り、女優を休業した。人間として普通に生きたかったそうだ。
強いなあ。私にはそんな事はできない。私も母から離れるために、ある意味うまいきっかけで別居という形を取ったのは確かだが、母との関係をキッパリ断ち切るなんて、決して出来ないことである。母と離れた今でも、母の顔色を伺ってビクビク過ごしている私は、弱虫だ。
吉永さんのお母様が、吉永さんが家を出て行ったときに、人知れず詠んだ歌がある。
私も母に、たまにこのような意味のことを、面と向かって言われる。「離したくない」「いつまでも手元に置いておきたかった」のようなことを言われる。そのたびに、苦い感情が心を支配する。決して嬉しい気持ちではない。苦しい気持ちだ。なぜ素直に「ありがとう、私もママの事大好き」と言えないのだろう。どうすればこの苦しみから逃れることができるのだろう。
吉永さんはファンの期待に答えるように1年後に女優復帰を果たす。そして女優としての仕事を続けるうちに、映画にのめりこんでいったという。しかしその中で、幼い頃の夢「子供を産み母になる」という夢を諦めたのだそうだ。実の母親との葛藤の中考え抜いた末の決断。親子関係がうまくいかないから、自分が子供を持ったときにまた同じような形になるという危惧もがあった、と吉永さんは言う。
娘に迷惑をかけたくないと、ガンになってからも最期まで一人暮らしを続けたお母様。お母様は、吉永さんの事を恨んでいるのだろうか。世の中の人は、こういう吉永さんを冷たい娘だと思うのだろうか。
だが今、吉永さんは、新作の映画で『昭和の母』を演じるに当たって、母親の遺品を使って縫い物の練習をし、母親の詩集を読んで母の生きた時代を振り返っているという。子供がいなくても『母』の役を立派に演じる彼女には、やはりお母様の愛の思い出が溢れているように思う。彼女にとっても、お母様はやはり偉大な愛すべき存在だったのだと思う。
お母様の詩集に、こんな歌があった。
さて私はどうしよう。このままでいいのだろうか。
吉永小百合さんも、母親との関係が良くなかった事を、初めて知った。いわゆるステージママだったのだろう。その母親の願いに幼い頃からいつも答えていた彼女は、「いい子すぎた」のだという。自分の本当にやりたい事も言えずに、母親ときちんとぶつかりあうことができず、ずっと我慢していたという。いわゆるアダルトチルドレンの共依存の形が、そこには存在しつつあったのであろう。母親の期待に、全国民の期待に答える事に疲れて、20歳をすぎると、ストレスが原因で次第に声が出なくなったという。
でもそんな吉永さんは、ご自分では親離れができていたのか、母親から離れるために『親の強い反対を押し切っての結婚』という形を選んだのだそうだ。両親が出席しない、私服での、友人の家での結婚式は、他の友達から見ると不憫であったという。そして吉永さんは母親との関係を断ち切り、女優を休業した。人間として普通に生きたかったそうだ。
強いなあ。私にはそんな事はできない。私も母から離れるために、ある意味うまいきっかけで別居という形を取ったのは確かだが、母との関係をキッパリ断ち切るなんて、決して出来ないことである。母と離れた今でも、母の顔色を伺ってビクビク過ごしている私は、弱虫だ。
吉永さんのお母様が、吉永さんが家を出て行ったときに、人知れず詠んだ歌がある。
お母様にとっては自分の分身であった娘を失って、身を引き裂かれるような、さぞ辛い思いであったのだろう。誰が悪いわけでもない。なぜこのような母娘関係になってしまうのだろう。「悲しいね、悲しいね」と叫ぶごと去りにし娘の後ろ姿追ふ
「自殺するな」と吾れにさとせし老い夫の心の中を子達は知るや
私も母に、たまにこのような意味のことを、面と向かって言われる。「離したくない」「いつまでも手元に置いておきたかった」のようなことを言われる。そのたびに、苦い感情が心を支配する。決して嬉しい気持ちではない。苦しい気持ちだ。なぜ素直に「ありがとう、私もママの事大好き」と言えないのだろう。どうすればこの苦しみから逃れることができるのだろう。
吉永さんはファンの期待に答えるように1年後に女優復帰を果たす。そして女優としての仕事を続けるうちに、映画にのめりこんでいったという。しかしその中で、幼い頃の夢「子供を産み母になる」という夢を諦めたのだそうだ。実の母親との葛藤の中考え抜いた末の決断。親子関係がうまくいかないから、自分が子供を持ったときにまた同じような形になるという危惧もがあった、と吉永さんは言う。
娘に迷惑をかけたくないと、ガンになってからも最期まで一人暮らしを続けたお母様。お母様は、吉永さんの事を恨んでいるのだろうか。世の中の人は、こういう吉永さんを冷たい娘だと思うのだろうか。
だが今、吉永さんは、新作の映画で『昭和の母』を演じるに当たって、母親の遺品を使って縫い物の練習をし、母親の詩集を読んで母の生きた時代を振り返っているという。子供がいなくても『母』の役を立派に演じる彼女には、やはりお母様の愛の思い出が溢れているように思う。彼女にとっても、お母様はやはり偉大な愛すべき存在だったのだと思う。
お母様の詩集に、こんな歌があった。
あなたの人生なんだから、好きなようにお生きなさいと言っているように聞こえる。お母様も、最後は吉永さんの事を、一人の女性として、女優として認めていたのであろう。長い目で見たら、いい母娘だったのではないだろうか。子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
ひと日ひと日をつとめて行かむ
さて私はどうしよう。このままでいいのだろうか。
- とんちゃん
うつ病歴8年はつらいですね。
私は、心身症で20年ほど悩まされましたが、医者には自立神経の失調といわれただけで、治療はされませんでした。ところが、50歳のときうつ病になりカウンセラに会い、うつ病の薬と心理療法を併用することを薦められました。 すると、半年ほどでうつ病と心身症の症状も消えました。
また、カウンセラに薦められた認知療法にもとずくデビッド・D. バーンズの「フィーリングGoodハンドブック」という本を読んでみると、そこに述べられていることが、仏教の教えに近いことを知りました。この本は大変役立ちました。
Wikipedia は「認知」を次のように説明しております。
人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈などが含まれた自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。
そこで、子供の頃母から浄土真宗と親鸞についてはよく聞かされておりましたが、あらためて仏教を学ぶことにしました。それから、15年ほどになりますが、2回ほど軽いうつ病の症状がでただけで寛解したようです。自分でも、以前と考え方が大きく変わったことが分かります。
それから、M.スコット・ペック の「愛と心理療法」を読んでみてください。有名な本で、アマゾンでも評価は全員が5*です。 一般の常識のほぼ逆です。私も、自分が誤まっていたことを思い知らされました。
私は、心身症で20年ほど悩まされましたが、医者には自立神経の失調といわれただけで、治療はされませんでした。ところが、50歳のときうつ病になりカウンセラに会い、うつ病の薬と心理療法を併用することを薦められました。 すると、半年ほどでうつ病と心身症の症状も消えました。
また、カウンセラに薦められた認知療法にもとずくデビッド・D. バーンズの「フィーリングGoodハンドブック」という本を読んでみると、そこに述べられていることが、仏教の教えに近いことを知りました。この本は大変役立ちました。
Wikipedia は「認知」を次のように説明しております。
人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈などが含まれた自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。
そこで、子供の頃母から浄土真宗と親鸞についてはよく聞かされておりましたが、あらためて仏教を学ぶことにしました。それから、15年ほどになりますが、2回ほど軽いうつ病の症状がでただけで寛解したようです。自分でも、以前と考え方が大きく変わったことが分かります。
それから、M.スコット・ペック の「愛と心理療法」を読んでみてください。有名な本で、アマゾンでも評価は全員が5*です。 一般の常識のほぼ逆です。私も、自分が誤まっていたことを思い知らされました。
2012/12/15 Sat 14:58 URL [ Edit ]
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