2007年7月30日、作家であり反戦活動家でもあった小田実(まこと)さんが、胃がんのため亡くなった。余命数か月を宣告された小田さんは、「自分には遺(のこ)しておきたいことがたくさんある」と、治療の合間の撮影を提案した。そのドキュメンタリーだった。
小田実さんのことを、恥ずかしながら私は知らなかった。1961年に刊行された「何でも見てやろう
番組は1時間半にわたるドキュメンタリーで、内容はベトナム反戦運動、阪神淡路大震災の議員市民立法実現など、小田さんの精力的に活動した過去の出来事も含め、非常に濃いものだった。とても全部をまとめることはできないので、番組の趣旨とは異なるかもしれないが、私は番組で知った小田さんの人間性をここに記しておきたいと思う。
小田さんは作家であった。だが、ただ書くことが好きな私とは全く異なり、”全身表現者”であった。行動することと書くことはいつも同じ線の上にある。行動は言葉になる、言葉は行動になることで広がり深まっていく。それが小田さんの生き方であった。
そして、巷に生きる人々の命と暮らしを守る、小田さんのそんな姿勢は生涯揺らぐことはなかった。
晩年、小田さんはギリシャ語の叙事詩「イーリアス」の翻訳をした。『デモクラシー(民主主義)』と言う言葉にさかのぼると、語源はギリシャ語の『デモス(民衆)』と『クラトス(力)』、つまり『民衆の力』の意味になる。小田さんは、イーリアスの中で、デモス(民衆)を「小さな人間」と名づけたのだった。
小さい力じゃどうせ何もできない、そんな風に嘆いてクヨクヨしているより、まずどうすればいいのかを考えろ。そんな風に小田さんが言っておられるように感じた。民主主義とは何かという大問題にわれわれは突き当たるんですね。私は長年考えてきて、ひとつの結論はこうなんです。
「小さな人間」「大きな人間」っていうのがいろんな政治を形づくる。政治とか経済とか文化とか、そういうものの中心を形づくるのは、どうしても「大きな人間」ですね。「小さな人間」と対比して「大きな人間」という問題を考えると、「大きな人間」は大きな力を持っているので、その力を行使して政治をしたり、あるいは経済を作ったり、あるいは文化を形づくる。それに対して「小さな人間」は何をするかと言う大問題があります。
元々デモクラシーは「小さな人間」のためのもの、貧乏人のためのものです。「小さな人間」が「小さな人間」の力で「大きな人間」のやりかたを正しくする、それが民主主義なのです。それをまず私たち「小さな人間」が考えていくよりないんですね。
小田さんの思想の原点には、常に『難死』(=無意味な死)という言葉があった。それは、ご自身が大阪で、終戦間際に幾度となく大空襲を受けた経験に基づくものである。
けれども小田さんは、生に絶望はしなかった。死の間際まで書き続けた。語り続けた。自身の死生観なんて考えている暇がないほど、頭の中が作品のことでいっぱいだと言っておられた。「難死」の存在を考えれば考えるほど、生き残っているご自身に与えられた『使命』みたいなものを全うされていたのかなあと思う。気がついてみると彼らは戦争の渦の中にいた。炎の中にいて逃げまどっていた。私が見たのは無意味な死だった。あの死をどんな風に考えることができるのか。確かなことは、彼らの死がいかなる意味においても、いわば「難死」であったという事実。ただそれだけであろう。その「難死」は私の胸に突き刺さる。戦後20年の間私はその意味を問いつづけ、その問いかけの上に自分の世界を形作ってきたといえる。
雑誌「展望」(1965年) 『「難死」の思想』より
実際、病床ではこう言っておられた。
個人的な悩みなんて言い合っても仕方がない、という言葉が、胸に響いた。小田さんの思想は、もっと高いところにあった。私は、自分がひどく小さく醜い人間に思えた。天命やからね。天命を決めて死ぬよりしょうがない。人間はどうせ死ぬわけやから。まあ有意義に死んだほうがいいんじゃない?少しは。
ただ私は生きるために生きるつもりはないんですよ。最後まであちこち出かけてしゃべったりする、あるいはデモ行進に加わることはできないけれど、書くことはできるししゃべることはできるし。
だから病気の愚痴なんか言ってもしょうがないもんね。それは個人的な話だ。みんな人間死ぬんだから。それぞれ悩みを抱えているよ。言い合っても仕方がない。どういう解決をするかってのがこれからの問題でしょうね。
一方で小田さんは、人の心にも敏感な人だった。ベトナム戦争が泥沼化してきた1967年、横須賀に入港中の空母から脱走してきた4人の米兵をかくまったとき、小田さんは無性に感じた孤独感をこう述べている。
人間とは何か。組織とは何か。考えれば考えるほど、孤独が襲うだろうと思う。ともすると絶望感に押しつぶされそうになるのではないかとも思う。けれども小田さんは決して挫けることはなかった。脱走兵はいつも独りだった。たとえ何人かがかたまって一緒にいようと、一人一人が独りでいる感じを身につけていた。
彼が敵に向かって撃たないと決めたとき、国家はたちまち遠のき、今度は彼に向かって国家はその全体で立ち向かってくる。そのとき彼は一人だ。独りになっている。国家と言う属性さえももぎとられた、むき出しの一人の人間となっている。脱走兵と一緒に、私がいつも言いようのない孤独と怖さを感じたのは、そのせいではなかったかと思う。
「崇高について」より
自分の死を見つめるときも、その姿勢は変わらない。入院治療に入る半月前、友人たちに送った長い手紙の一部を読むと、それがわかる。
英語の言い方で「His days are numbered」というのがありますが、私の状態はまさにそれで、あと、3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、あわよくば1年-というぐあいに考えています。
短い間ですが、デモ行進にでることも、集会でしゃべることももうありませんが、書くことはできるので、できるかぎり書き続けていきたいと考えています。
では、おたがい奇妙な言い方かもしれませんが、生きているかぎり、お元気で
2007年4月21日 小田実
生きているかぎり、お元気で
これほどセンスのいい、心が弱っている人を勇気付ける言葉があっただろうか。悲しい戦争や格差社会の話が多いドキュメンタリーではあったが、一方で私は、小田さんの、崇高でそれでいて人情味あふれ、そして天命を全うした生き方に、心にすがすがしい風が吹いたような気持ちを感じた。