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不定愁訴の姉
2008.03.17 Mon 13:13 | わたしにできること | 心と身体
 母から電話があった。電話に出るなり「病気になって喜んでる人がいるから替わるわ。」と言われた。

 何事かと驚いたら、帰省中の姉が、足の指を骨折していたというではないか。姉は、自宅で足の指を激しく家具にぶつけ、それからとても痛かったのだが我慢しつづけていたという。だが帰省してもあまりにも痛みが続くので整形外科に行ったところ、医師は見るなりあっさり「あー骨折してますね。」と言ったそうだ。剥離(はくり)骨折だそうである。

 姉は、どちらかというと『不定愁訴』気味である。いつもどこか体の痛みを訴えては病院に行くが、原因がわからない。そのせいで周囲も「またか」といった感じになって、姉の訴えを聞かなくなってきた。だから姉はもっと訴える。そして周りは無視する。姉はいつのまにか『オオカミ少年』になっていた。
 今回も姉は、「本当に痛いの。骨が折れているかもしれない。」と、義兄に母に、訴え続けていたらしい。だが「あーはいはい。」と相手にしてもらえなかったので、家族の反対を押し切って自分ひとりで病院に行き、やっと”骨折”というお墨付きをもらったのだそうだ。

 そんな姉に、母はまだ言っていた。「私だって、骨が折れてると思うところあるわよ。でも病院なんか行かないわよ。」母は、よく私のブログにも登場している通り、これまた人の愛情というものに対して人一倍負けず嫌いな性格である。誰かが自分より重い病気になって優しくされているのを見ると、我慢ができないらしい。そんな母は、たぶんある種のアダルトチルドレンなのだと思っている。
 母は私の”うつ”に対しても「私ももっとひどい”うつ”だったけど、治ったから大丈夫よ。」といつも言う。そして今日も、目にできた腫れ物の話をしたら、「私もよくできるわ。」と言っていた。

 姉に電話を替わった私は、たぶんあの家で誰も言ってくれなかったと思う言葉をかけた。「痛かったでしょう。よく我慢してたね。大変だったね。」
 私は、おとといの「解体新ショー」でやっていた事を思い出したのだ。痛みには個人差がある。まずその人の痛みを理解してあげること。そうしないと、その人の痛みはどんどん大きくなる。そして、実際には怪我がおさまっても、痛みを感じる「心の問題」へと発展してしまうのだ。誰かがしっかり話を聞いてあげなければ、姉の不定愁訴スパイラルは止まらない。それに気づいた私は、姉に優しい言葉をかけずにはいられなかった。
 姉はびっくりしたように「ありがとう・・・。」と言って、少し気弱な声を出した。「病院の先生にもそう言われて、やっとわかってもらえたと思ったの。原因がわかっただけでもよかった。」
 
 姉に同情したなんて母が知ったら、「甘やかさないで!」と後で私が怒られるかもしれない。でもこれでいいのだと思う。いい事をしたのだと思う。一人でもどこかに味方がいるってわかれば、精神的に全然違うと、今の私は知っているから。

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