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加害者被害者
2008.03.27 Thu 10:33 | エッセイ | 小説・文学
 最近、通り魔的な少年または青年の犯罪が増えている。このような特異な事件は連鎖するようで、何件か固まって発生したりする。そしてテレビではお約束のように、コメンテーターらが「心理が分からない」と首をひねり、色々と想像でものを言う。近隣住民や同級生の情報をかき集めて、家庭環境を調べあげ、必死に問題点を洗い出したりする

 そして、こうした特異な殺人事件に必ず出てくる言葉が「精神鑑定」「心神耗弱」「心神喪失」だ。

心神耗弱(しんしんこうじゃく)
精神機能の障害により行為の是非を判断する能力や行動を制御する能力がいちじるしく減弱した状態
心神喪失(しんしんそうしつ)
精神機能の障害により行為の是非の判断や行動を制御することができない状態

(三省堂提供「デイリー 新語辞典」より)

「心神耗弱」だと刑が減刑され、「心神喪失」だと無罪になる、と刑法で決められているらしい。
 ただ、殺人を犯すほどの人が、その瞬間、行為の是非の判断ができる状態だったとは思えない。行動を制御できる状態だったとは思えない。こうした”一時的な精神障害”は、どう判断すべきなのだろうか。

 そして私は、こういった報道が、ますます精神障害を抱えている人への差別を呼ぶのではないかと、少し憂いを感じる。沖縄の嬉野が丘サマリヤ人病院の田崎琢二医師によれば、実は精神障害者が事件を起こす割合は遥かに少なくて、一般の人の3分の1というデータもある。だが世間の偏見は今も根強く、精神障害者と犯罪が安易に結び付けられてしまうことも少なくないという。

 その一方で、JR岡山駅で起きた”ホーム突き落とし殺人事件”の被害者のお父上、仮谷要さん(70)が、インタビューに答えて非常に立派なコメントを出されていたその言葉に、私は強く胸を打たれた。

 逮捕された少年への思いを尋ねられ「本当のことを言えば、はらわたが煮えくり返る思い」と憤る一方、「罪を償って、社会復帰したら世のためになる人になってほしい」とも。
  「誰でもよかった」と供述した少年に、かけがえのない命を奪われた。要さんは「こんなことは、できれば息子が最後であってほしい」と声を詰まらせた。

中日新聞より)

”罪を憎んで人を憎まず”という言葉があるが、ご子息を殺害されてなかなか言える言葉ではない。
 だが、これこそが本当の『赦し(ゆるし)』なのだ。本当の赦しを受けたとき、人は心から反省し謝罪するようになるのではないかと、キリスト教教育を受けてきた私は思うのである。是非このコメントが加害者の少年に伝わり、いつかその本当の気持ちが理解できるようになる日が来ることを望む。きれいごとと言われればそれまでだが、このお父上の発言に胸を打たれた人は、実際多かったことと思う。

 とかく最近は、何か自分に不具合な事があると、やれ学校がわるいやれ国がわるい、責任をとれ謝罪しろ賠償しろ、などと叫び狂って裁判を起こす人々を見るが、あまり気持ちのいいものではない。確かに心中はお察し申し上げるのだが、どうなるものでもない状況では、与えられたありのままの現状を受け入れなければいけない時も来るのだと思う。

 「もし私が見知らぬ人に殺されても、マスコミのテレビカメラに向かってぎゃーぎゃー叫ばないでね。」と彼には言ってあるが、どうなることやら。例えばもし私が被害者の遺族の立場になったのなら、自分もどうなるかはわからない。


「少年、無言で肩押す JR岡山駅の突き落とし殺害」 - 中日新聞 2008年3月27日 朝刊
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