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桜の涙
 病院の帰り道、小川沿いを歩いてみたら、だいぶ桜が咲いていた。桜を見ていたら、自然と涙が出ていた。私は、昨年の今頃のことを思い出していた。

NEC_0003.jpg その頃の私は、失業保険をもらうために月一回ハローワークに通っていた。
 早く社会に戻らなければと焦っていたのか、心療内科の先生に”働いてもいい”という診断書を書いてもらい、失業保険受給の手続きをした。だが、いざやってみると、隣町のハローワークに通うことすら大変だった。やはり私には仕事は無理なのかなと悩んでいた頃、ネト友から『桜がきれいに咲いてるよ』という話を聞いた。そんな小さなきっかけが私に外へ出る力を呼びおこし、期せずしてハローワーク近くにある桜並木を発見することにつながり、はしゃいで写真をパチパチ撮ったのだった。それがこの桜。
 あの日はひどく感動して、mixiに書いたりネト友に見せたり・・・・少しの間だけでも楽しかった。

 あれから1年、いったい私は何をしていたのだろう。何も変わっていない。みんなはそれぞれ、自分の道をしっかり歩んでいるのに、私だけが何一つ変わっていない。
 ただ違うのは、私はあの頃から髪の毛を切っていない。ショートだった髪の毛も、おだんごにまとめられるほどまでに伸びた。そしてメガネを作った。昔の私を知っている人は、今の私とすれ違っても気がつかないだろう。中身は何も変わっていないのに、外見はすっかり変わっている。ここにいるこの人間は、一体誰なんだろう。

 そんな事じゃない。私が思ったのはそんな事じゃない。
 今日見た夕方の桜は、私を絶望の底へと叩き落した。なぜだかわからないが、「ごめんなさい。私と会わなければもっと幸せにやっていた全ての人々にごめんなさい。生きててごめんなさい。生まれてごめんなさい。生まれてしまったというこの罪を、私はどうやったら償えるのか。これ以上に、もっともっと苦しみ続けなければいけないのか。」そんな感情が一気に押し寄せた。あまりにキレイに咲く桜を見て、まるで社会の罪のすべてを一身に背負わなければいけないような感覚が私を支配したのだ。

 日本人は”散りぎわの美学”を大切にしてきた人種だ。一番キレイな時にパッと散りゆく桜。夏のセミだってそう。準備期間にすべての力を注ぎ、それに比べてあまりに短いその結果発表だからこそ、それを知っているからこそ、いとおしく美しい。

 それなのに私は、最も輝いていた時期をとうにすぎて、醜く汚らしく人に迷惑をかけて、それでもなお這いつくばって生きている。酸素を吸って二酸化炭素を吐き、電気をつけてエネルギーを無駄に消費し、三食昼寝付きの生活をダラダラと送っている。でも私がいくら泣いたところで、たとえ命をささげたところで、この罪は償いきれないほど大きい。
 ごめんなさい。本当にごめんなさい。やっぱり意味がわからない。

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