このことを、あるテレビ局のニュースで「いわゆる”ゲーム脳”」と説明していた。金川容疑者の自室には、100本近いゲームソフトがあった。23日に逮捕された際、リュックには3日前に発売されたばかりの携帯ゲーム機用のソフト が入っていた。東京・秋葉原で開かれたゲーム大会で準優勝した経験もある。
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友人の男性会社員(22)は、「一緒に遊ぶときはだいたい自室でゲーム。勉強机、布団、テレビとゲーム機だけの殺風景な部屋だった」と話す。気に入っていたのは、格闘ゲームやゾンビを次々と殺すホラーゲームなどだった。もともと、自室にこもりがちだったという金川容疑者。今年1月にコンビニ店のアルバイトを辞めてからは、さらに閉じこもるようになり、ゲームに没頭する日々を過ごしたという。
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自宅近くの複合遊技施設にいた男性(18)は、金川容疑者が格闘型ゲームをやっているのを何度か見た。「負けたり、思い通りにいかなかったりすると、ゲーム機をたたき、いすをけっていた」と振り返る。別の男性は「ささいな一言でも切れるから、何か言うには気をつけないといけなかった」と証言する。
(YOMIURI ONLINE)
私は、「またか」と思った。たしかにこの犯人は、人とのコミュニケーションが不足していたことは否めない。それが彼の全能感を増長させてしまった原因の1つなのかなとは思うが、ゲームのしすぎが犯罪を引き起こした訳ではないと思う。
そもそも、この『ゲーム脳』という言葉は、日本大学文理学部体育学科の森昭雄教授が、2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖
たとえば、「ひきこもり」研究の第一人者として知られる、精神科医の斎藤環氏はゲイムマンのwww.tv-game.comというサイトで、森昭雄教授について『この人にはもうちょっと、ちゃんと勉強していただきたい。肩書は教授かもしれんけど、脳波に関しては素人以下ですから。』と指摘した上で、次のような発言をされている。
子供がゲームに熱中することを快く思わない層には、すごくアピールするでしょう。単に「権威のある専門家が、ゲームをやると脳がおかしくなると言っている」という文脈だけで、それ以上誰も細かく読んでないというのが実状だと思います。だから、いかに人が、本をちゃんと読まないかってことの証明ですよね。
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マスコミのみならず、文化人、知識人と呼ばれている人が、いかに理系の殺し文句に弱いかということがよくわかりました。誰も中身を理解なんかしてませんからね。ただ単に理系っぽい文章で、専門的な言葉で、「ゲームをやりすぎると脳がおかしくなりますよ」と書いてあるだけのことでしょう?
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実際問題として、ゲームの普及率はどんどん上がっているわけですけれども、子供がどんどんキレるかっていったらそんなことないわけで、その証拠に、犯罪率はむしろ低下してるわけですから。そのへんをもうちょっとちゃんと、理論づけてほしいですね。環境ホルモンが話題になったときもそうでしたけどね。
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新聞記事で子供がキレてるうんぬんみたいな話があったとしても、それは要するに、そういうことが珍しいからトピックになるわけであって。環境ホルモンにしてもゲームにしても、少年が凶悪化してる証拠は何もないんですよね。臨床場面で見てもそう思いますし、犯罪統計を見ても明らかなわけで。こういうこと言いたがる人は、この統計をどう説明するんですかね。
(『斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖』より)
こうして、『ゲーム脳』という言葉は、論破されて忘れられた過去の言葉のはずだった。だがそれでも依然として、少年の凶悪犯罪のたびにマスコミに出てくる言葉として定着してしまった。意味もわからず使われる便利な言葉となってしまった。これがまた、さらに「ゲーム」に対する批判を呼ぶ。
「ひきこもり」「ニート」「ゲーム」・・・そんな、社会の正しい大人にとっての”悪”の先入観は、何か事件が起こったときに『ほら見たことか!』と叩かれるカッコウの材料となってしまう。その属性の人すべてがひとまとまりに批判される。
だが、それよりもむしろ私が怖いと思うのは、そうやって何でもかんでもひとくくりに簡単に批判する人のほうだ。一般論で批判をすることは簡単だ。だがすなわちそれは、一人一人の個性や存在をきちんと見てあげていない事なのではないかと思う。
人間はみんな寂しいのだ。みんな孤独なのだ。本当の自分に気づいてほしいのだ。誰からも自分の存在に気づいてもらえない、必要としてもらえない、そう思ったときの絶望感ほど自暴自棄になるきっかけはない。強くそう思う。
(だからといって、もちろん人を傷つけることが最もいけないことは当然であるので、誤解なさらぬよう。)
金川容疑者は殺りくゲームに没頭、自室の壁に「死」の文字 (2008年3月26日03時03分 読売新聞)
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