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生と死の旅
2008.03.31 Mon 12:23 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 録画しておいたETV特集いのちの声が聞こえますか~高史明・生と死の旅~』を見た。

 在日朝鮮人作家の高史明(コ サミョン)さん(74)。33年前、息子のために語っておこうと自分の波乱の少年期のことを「生きることの意味―ある少年のおいたち」と題して本に書いた。だがそれからすぐ、当時12歳だったその一人息子・真史(まさふみ)君は自殺してしまう。
 番組は、息子さんの死からさまざまな人たちと出会いながら命について思索する旅を続けている高さんの、今を追いかけるドキュメンタリーであった。合間に入る対談の相手は、爆笑問題の太田光さんにはじまり、元住職、精神科医、ホスピスなどさまざまな人々。眠気に朦朧とする私の頭には静かで重いテーマだったが、いくつか心に響く話や言葉があったので書き留めておく。



 高さんが、中学生に向けた公演会で語った、息子さんへの後悔の気持ちについて。
 中学生になった息子の真史君に、高さんはこう言ったそうだ。

 今日から君は中学生になった。これからは自分のことは自分で責任をとりなさい。他人に迷惑をかけないようにしなさい。自分の人生だ。自分の思いで生きていきなさい。

しかしその夏、真史さんは自殺した。今、高さんはこう振り返る。

 子供に向かって親が言っていいことであったのか。違う風に言うべきだったとと思う。
 『自分の人生だ。』と言う前に、『道が歩けるのは道を作った人がいるんだ。世界中の人がいて初めて道を歩けるんだ。その人がいるということを知るということが、まず自分ということにとって一番大事なんだ。他人に迷惑をかけないとは、他人の迷惑の上に自分が成り立っているんだ。』ということを、はじめに言うべきだった。

 この高さんの言葉は、私の心に確かに響いた。今まで「他人に迷惑をかけてはいけない」と強迫観念のように思っている私に、「迷惑はかけていいんだよ。」「迷惑と思ってないよ。」と友人たちが諭してくれたり慰めてくれたりした。が、それでもガンとして考えを曲げることができなかった私の心のどこかに、確かに響いた。



 死後見つかった真史君のノートには、たくさんの詩が書き残されてあった。読めば読むほど、12歳にしてその豊かな感性と深い洞察力に驚かされる。

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから

(「ぼくは12歳」)より

なぜこんなに「しなない」と連呼していた少年が、自ら命を絶ってしまったのだろう。

 高さんが言うには、真史君が死の寸前に読んでいた本は、夏目漱石の「こころ」であったのだそうだ。その本の中に、漱石自身の思いで「自分で自分が信じられない」という言葉がある。自分が信じられない自分は、なんびとたりとも信じることはできない。そんな思いでいた真史君に、「自分のことは自分で責任をとりなさい。」と言ってしまった自分の言葉がいけなかったのかと、今でも高さんは悔やんでいるようだった。

 だから高さんは、真史君の詩を読んで送られてくる、”死を肯定する”ような気持ちの子供からの手紙に、必ず返事を出しているそうだ。その高さんの強い気持ちが垣間見える言葉に、爆笑問題の太田さんは心を打たれると言う。

 『じゃあ夏目漱石のこの部分はどうだ?ニーチェはどうだ?』ともっと思考することを教える。『そんなところで思考を止めちゃだめだ、もっと君が思っている以上に厳しいし、それだったら興味でそれを追求しろ。』という意思が伝わってくる。

 私も、一人でひざを抱えて考えていると、思考の行き止まりを感じることがある。究極の結論が出てしまうと、そこからもう逃れられない事がある。けれども、たびたび聞くこうした「発想の自由度」って、とても大切な事だなと痛感した。追求するなら、ある一方向にばかりベクトルを伸ばすのではなく、自分のその結論にすら疑問をもちながら、色々な人の考えを取り入れていかなければいけないのだなと思った。



 多くの対談の中で、「生きることの意味」の新しい考え方を示してくださった方がいた。聖路加国際病院の小児科医、細谷亮太さん。小児がんと取り組んできた細谷先生は、幼くして死と直面してしまった子供たちと、その親たちのケアを日々行っている。
 細谷先生は「残された人は長く生きなくてはいけない。」と言う。そう思うきっかけとなったあるお話を披露してくださった。

 先生が医師になりたての頃に見送った患者さんで、十分なケアをしてさしあげられなかった”心のトゲ”のようになっている患者さんが何人かいるという。そういう患者さんのお母さんの一人から、30年ぐらいたって突然お手紙をいただいた事があったそうだ。一回も連絡もないから『きっと僕の事を恨んでらっしゃるんだろう』と思ったりしていた先生に、30年後初めて来た手紙にはこう書かれてあったそうだ。「実は先生は医者になりたてだったけど、うちの子は先生のことが大好きで、来てくれるのをとても楽しみにしてたんです。」

 そうするとやっぱり30年僕が生きてなかったら、そのメッセージは届かないまま、僕はきっとトゲを刺したまま死んだんだろうと思いますし。そういう亡くなった人からのメッセージが届くまでにとっても長い時間かかるっていうことが、それも僕は自分で経験して初めてそう思いますね。

さらにまた、細谷先生は言う。

 30年たったらお集まりになるお母さんたちが泣かなくなるかって言うと、そんな事はないんですよね。ただ、泣くその涙も最初の頃の涙とちょっと違って、お母さんに言わせると、涙を流すと気持ちのいい涙が流れるようになるというようなことを言ってくださるんで。

これに対して、高さんも大きくうなずきながら答えた。

 そうですねえ。時間かかりますねえ。でもそういうことがあるからこそ、人間の生死というのは深みが出る。人間って言うのは、長い時間をかければちゃんと立ち直れて、強く生きていけるんだっていうことを信用することができたりするんです。

 私が今流す涙は、絞り出すようにドロドロで、目が痛くて、苦い味がする。でも時間をかければ、時間さえかければ、ちゃんと立ち直れるのだろうか。人生を長く生きてきた方々がゆっくりした語り口調で微笑みながらおっしゃる言葉だけに、少しだけ信じることができる気がした。



 番組最後の対談では、爆笑問題の太田さんと、励ますと励まされるの関係の逆転を話していた。励ましている方が実は励まされている。救っている方が実は救われている。そういう事は、よくある話だ。
 その上で、高さんは、一人息子の故・真史君との今の関係を、こう話された。

 だんだん、彼が死んで宿題を残されて、自分とは何か文字とは何か、生とはなにか死とは何かとか考えさせられて。最初は彼は永遠に手の届かないところに行ったという感じなんですけど、その瞬間は今も持続的に残っているけれど、気がついてみると、だんだん帰ってきて一緒に歩んでいる気がするんですね。
 死んだ子供と対話を続けてくところに、自分自身が生きているということを本当に捕らえる道があったんだ。その過程がね、子供がだんだん近づいてそばに来る、そういう人生になっているんです。

真史君は、確かに高さんの心の中に生きている。そして高さんは、真史君によって生きていることを実感している。その意味が、強く伝わってきた。

 高さんは笑って言った。

 彼は今笑ってるんじゃないですかね、どっかで。いい気味だと。


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