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尊厳死を考える
2008.05.19 Mon 13:40 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨夜の「ETV特集」を録画して見た。『安らかな最期を迎えるために ~尊厳死を考える~』という重い、しかし限りある命を持つ私たちが決して避けては通れないテーマだった。

尊厳死とは
助かる見込みがない患者に延命治療を実施することを止め、人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えさせること。(日本学術会議 死と医療特別委員会)

 2006年のデータによれば、日本人の79.7%が病院で死亡している。
 医学が進歩して世界一の長寿国となった日本では、心肺蘇生や人工呼吸器など延命の技術が飛躍的に向上したことで、かつては救えなかった命が救えるようになった。しかしそれは同時に、回復が見込めないまま、機械や点滴やによって生きる患者を生むことにもなっている。
 だが患者や家族が延命治療を望まないケースも少なくない。その希望通り、医師が治療を中止することは”尊厳死”として認められるのか?

 ”尊厳死”というタブーが大きな議論となるきっかけは2年前、富山の病院で、医師が7人の人工呼吸器をはずしていたことがわかり、殺人の疑いで警察の捜査を受ける事件があってからだという。7人の患者はみはガンなどで、末期の状態にあった。

外してあげる事のほうが、その時には自然な行為に思えた。(伊藤雅之元医師)

警察は2年たった今も捜査を続けているという。

 この事件の直後に、全国の救急医療の現場で働く医師に調査を行ったというデータがある。

心停止状態で運ばれてきた55歳の男性。心肺蘇生し、人工呼吸器を装着してから、肺がんの末期だと判明した場合について。延命治療をつづけるか?
治療水準を維持する ・・・ 18.2%
治療水準を下げる ・・・ 32.7%
治療を中止する ・・・ 3.1%
家族の意向に従う ・・・ 38.4%  (回答318人)

4割近い医師が、家族の希望で呼吸器をはずすことがあるという結果だった。
 しかしそこには、統一したルールなど全くない。あるのはそれぞれの医師たちがもっているそれぞれの倫理観。それをどう固めていけばよいのだろうか?

 2006年5月、弁護士や新聞社の論説委員など外部のメンバーも入れて、倫理委員会が開かれた。延命治療を中止するには、家族が希望しているだけではだめなのか?という現場の医師の疑問に、弁護士たちから反論が相次いだという。人工呼吸器を外すことは、刑法では「嘱託殺人」「自殺関与」という犯罪が疑われ、刑事訴訟になるため、家族の意思だけではまずい。あくまでも患者本人の意思を確認できることが必要なのだという。
 
 1976年に設立された日本尊厳死協会の理事長・井形昭弘氏は言う。

 やっぱり自分の死に様には自分も関与させて欲しい。それは私たちの権利ではないかと。死に至る経過を選べる権利、これも広い意味で人権だと思う。

日本尊厳死協会に会員として登録すれば、延命治療を受けたくないという意思を明確にすることができる。入会の申し込みは全国からやってきて、会員は12万955人(今年4月末現在)いるという。
 しかしながら、この宣言書には今のところ法的な効力はない。

 私はここまで見て、『死』についてあらためて考えた。
 何度もカミングアウトしているとおり、私はうつ病である。心が突然変異して、もう生きるのよそうと思ってしまう”心のガン”である。今はだいぶ落ち着いているが、私にも、『死ぬ権利』の行使を望んでばかりいた時期があった。けれども周りの人がみんなして『死んだらだめだ』と叱るので、「私には死ぬ自由すらもないのか」と、それがまた悲しくなって泣いてばかりいた時期があった。

命は誰のもの?


 ”尊厳死”の法制化を求める動き声もあがっている。
 3年前に『尊厳死の法制化を考える議員連盟』が結成され、現在党派を超えて100人近くが参加している。同連盟は、国会に”尊厳死法”を提出するべく、昨年5月にはいわゆる『尊厳死法』の要綱案を発表した。

 しかし、大阪で高校教師をやめ、交通事故で13年間植物状態が続いている次男の介護に専念している桑山雄次さん夫妻は、法制化の影響でお年寄りや障害者が生ききづらくなってしまう事を懸念する。

 福祉も医療も貧困化している中で、”尊厳死”ということを言われると、重度の障害を持った者が生きにくくなる。国がそこまでする権利はない。
 「死んでたら楽だったのにね」って今でもそういう声が出てくるわけですから、同じ税金使うのが心苦しいところに(尊厳死を)法制化されたら、生きたいという人の権利が言えなくなるのではないか。


 また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病をわずらい10年前から人工呼吸器をつけている吉田雅志さんは、わずかに動かせる口元に赤外線センサーをつけてパソコンを操作し、ホームページを開設して闘病記をつづっている。
 3年前の吉田さんは、尊厳死について否定的な考えを発表していたという。

 尊厳死とは、一見聞こえのいい医療費の削減です。認められません。尊厳死という弱者の抹殺が始まります。

しかし最近、吉田さんの尊厳死についての考えが変わってきた。おなじALS患者の仲間が「ロックドイン(=動かせる筋肉がなくなり、意思の疎通がまったくできなくなること)」という状態に陥ってしまったからだという。

 あくまで自分自身のことですが、インターネットやメールができて何とか社会参加ができていたわけですが、ロックドイン状態になったら自分は何も意思を伝えることができません。これで果たして生きているといえるのか。
 生きる価値も失って生かされているだけの人生は歩みたくないのです。私はロックドイン状態になったら、呼吸器をはずして欲しいと思うようになりました。

生きることの意味を、ベッドの上でずっと問い続けてきた吉田さんの言葉は重い。
 『生きる価値も失って生かされているだけの人生』か・・・。今の私の状態と同じだなと思うのも失礼な話ではあるが、そう思ったときに生きていくのが辛いという気持ちはとてもよくわかる。しかし、だからといって本人の希望で『死』を選ぶことができるのなら、それは『自殺』と何が違うのだろうとも思う。

 『生きたい』と『生きていたくない』。その気持ちは、ちょっとした周囲の言葉や環境で、時々刻々と変わっていくものだ。今は『生きていたくない』と思う私も、終末期になったら、最期の瞬間になったら、どう思うのかわからない。
 もちろん私は、延命治療など望まない。一刻も早く楽にしてほしいのだが、けれどもその瞬間は、介護する人の納得いくようにしてもらうのが、一番いいのではないかと思っている。去り行く者は、心を残さない(であろう)。残る者の心に後悔がないようにしてあげたい。

 このごろの私は、自分の命の所有権ですら、自分にはないような気がしている。



前へ(吉田雅志さんのホームページ)
日本尊厳死協会

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