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悩みの階層
2007.09.15 Sat 20:56 | エッセイ | 小説・文学
 昨日の「タイムマシンは宇宙の扉を開く」で、佐藤教授がおっしゃられていた事をふと思い出した。昨日の記事で触れなかったので、改めて書き留めておく。物理学では、問題を解決したと思うとまた他の問題が次々と現われて、いわば問題の階層化になっている、のような事だったと思う。私は勝手に、人間の悩みと同じだなと感じながら聞いていた。
 というのも、私の担当教授も似たような事を言われていたからである。たしか最後の講義の中でだった。

人の悩みもまたフラクタルである

 フラクタル(自己相似)とは幾何学の言葉で、図形の部分と全体が自己相似になっているものなどのこと。なぜか自然界のあらゆる場面で出現されるとされる。
 一番わかりやすい例は「シダの葉」である。ここに1株のシダがある。
sida1.jpg

sida2.jpg このシダの葉をじーっと見ていると、不思議な事に気づく。シダの枝1本1本が、シダ1株とほとんど同じ形をしているのだ。

 sida3.jpg

 そしてよく見ると、さらにはその枝を構成する小枝が、また同じ形をしていて、もっと言えば、シダの葉1枚1枚の形までもが同じ形だ。


 物体の細部の形を拡大してみると、大きなスケールで見たその物体の形と一致し、同じような事が無限に繰り返し存在する・・・・これをフラクタルと言う訳だが、私の担当教授が「人の悩みもまたフラクタル」と教えてくださった。
 人というのは不思議なもので、1つの大きな悩みが解決したと思っても、どういう訳かまた他の小さな悩みを探し出してきて「どうしようどうしよう」と同じように悩むものだ。それが大きいものでも小さいものでも、他人にとっては取るに足りない小さい問題でも、当人にとってはすべて悩みは悩み。同じぐらい深刻なものとして見てしまうものなのだ。と。

 若かった私は、当時ふーんと適当に聞いていたが、年を取るとともに、その通りだなぁと思う。いつまでたっても解決しない心の悩み。晴れない心。きっと他人にとっては、小さなシダの葉の先のケバケバ程度の、本当に小さな小さな事なのだろう。
 行き詰ったとき、いつもこの事を思い出せればいいのだが。大きなシダの株を、シダの生い茂る林を思い出せればいいのだが。なーんだ、私の悩みなんてこんなに小さな事だったのか、と気づければいいのだが。
 戒めのためにも、私はこの事を、ここに書きとめておく。

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