毎週見ている「爆笑問題のニッポンの教養」。今週は先週にひきつづき、東京藝術大学の学長である宮田亮平先生を訪ねての『アートのハート』という対談であった。
 先週までのところ、宮田先生の明るい語り口とあまりにもピュアなご意見に、『それで大丈夫なのか!』などと大きな口をたたいていた私であった。けれども、今週最後まで番組を見たら、先生に対するイメージが少し変わった気がした。

 今週の話題の中心は、”伝えること伝わることとはちょっと違う”という内容だったと思う。それがいい事なのか悪い事なのか。太田さんと宮田先生の間で、捕らえ方が少し違っていたようだ。

 何も漫才やらなくたって絵書かなくたって、伝える手段なんていくらでも持ってますよ。それなのに、伝えたい事ってどんだけ伝えづらいかって常に感じる。すごい難しいじゃないですか。ってか一回もないよ、伝わったことって!

とツバを飛ばしながら苦悶する太田さんに対して、宮田先生は『若い頃はそんな時代もあったけど、あるとき吹っ切れた』と語る。

 違うふうに伝わってもいいやって思うようになったんだよね。
 Aを伝えたいと思って作品作るとするじゃない?でも出来上がった作品というのはもう僕の手から離れるわけだよね。もう彼は生命もってるから。彼が動いていったときに、見る人がBって感じたとするじゃない?それをいつも僕がそばに行って『いやこれはAです』って言わなくていいよね。

それでもしつこく『絶対に嫌でしょ!伝わらないことは許せないじゃないですか!』と食いつく太田さんであったが、『今いくつだっけ』と聞く宮田先生は、43歳という太田さんに微笑みながら言った。

 20年上なんだね。そうするとその20年の中にね、結構あるんだよ。

そういうものなのかなあ。まだまだ先は長いなと思った。

 そして流れた宮田先生の単独インタビュー。その表情がとてもやわらかく、何か悟ったような表情だった。

 考えるのは後からでいい。まずやる。まずつくる。理屈が先にあってその後に物を作ろうとするとね、それを伝えよう伝えようとするから、余計もういっぱいいろんなもんくっつけて、シンプルじゃなくなってくるんだよね。そうすると自分がわかんなくなるんだ。

この言葉と先生の表情に、私はすこし涙が出そうな思いだった。理屈で考えて動けなくなっている私に、”そんな事は後から考えなさい”と言われているようだった。自分が思っている以上に、現実はシンプルなのかもしれない。私は、自分と自分でないものとの境界線がよくわかっていないのかもしれない。
 自分の手から離れたものは、もはや自分ではないと認識すること。そこを切り離す潔さも必要なのだろう。ましてや、他人の考えなど制御できるものではない。理解できるものでもない。それを忘れないようにしなければ・・・。
 さかんに先生に食いついていた太田さんも、実はその辺をよくわかっていたようで、結局こうまとめていた。

 伝えたいものが、その人の解釈で変化していいじゃないか。その変化こそがその人なわけでしょ?


 つまり、昨日の記事の読書感想文の話ではないが、ものごとの感じ方に”これが正解”なんてものはないのだ。そしてその感じ方の多様性こそが”個性”なのだ。人と違うことを恥じることはないし、批判されることもないのだ。
 完ぺき主義で、”これだけ理屈が通っているのだから、すべて自分が正しいはず”、とどこかで思っている私には、少々耳の痛いお話となった。

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