遠方に住む姉と”スカイプ”で話をした。昨日メールをくれたのでそれに返信をして、急遽お話をすることになったのだ。私もここのところ孤独な気持ちを抱えていて、優しいメールをくれた姉と無性に話をしてみたくなった。

 姉は、私の返信メールの中の”ごめんね”に驚いていた。私はこんな事を書いていたのだ。

 お姉ちゃんの就職や退職の頃を思い出しちゃった。お姉ちゃんもいろいろ(母に)責められてたよね。一番苦しんでるのはお姉ちゃんなのにねって思ってたけど、全然助けてあげられなかったね。ごめんね。

姉が言うには、『そんな事もあったっけ』程度で、すっかり忘れていたという。『そんな事ばっかり気にしてるから疲れちゃうのよ。』と優しく笑っていた。
 けれども私にとってはそれは強烈な記憶で、毎日鬼の形相で姉を責めたてる母と、泣きながら言い返していた姉と、同じ場にいながら何も言えずにうつむいて黙っていた私。今でもその場面を脳裏に描くことができる。今から考えると、『ああ、あの時の姉は1人でつらかったんだろうなぁ。』と思ったから”ごめんね”と書いたのだが、本人が忘れていたとは。

 それから姉と『不思議なもんだね〜』と、しみじみ話をした。十年以上たっているのに、特に大きな出来事でもないのに、今でもふと思い出す『あ〜悪いことをしちゃったなあ』という気持ち。そんな思いが、姉にもあるという。
 姉はまず、小さい頃私にいろいろとひどい仕打ち(?)をした事を謝っていた。私にはまったく覚えのない事だった。それから姉は、高校時代のささいな事が突然夢に出てきた事で自分の失言を思い出し、その相手に電話をして謝りたい気持ちになったとも言っていた。『でもきっと忘れてるんだろうなあ。』と笑っていた。
 シークレットでコメントをくださった方にも、たまたまそんな方がいた。おそらく相手は何とも思っていないであろう事なのに、やけに自分だけ気になる後悔の記憶というものが、そんな小さな心の傷が、人間誰しもあるようだと感じる。

 私には、今謝りたい人が2人いる。その事を思い出すだけで、口の中に苦〜い味が広がるような記憶がある。たぶんふとしたきっかけで思い出す”謝りたい人”は、これからもゴロゴロと出てくるのだろう。
 謝る事で自分の気が晴れるなら、相手が忘れていようが迷惑だろうが謝らせてもらいたいものだと、勝手ながら思ったりもする。もちろん、年月がたったことで水に流してもらえるという計算があるから言える事なのだろう。その場で謝れなかった自分を恥じつつも、誰かに赦してもらう喜びで癒されたいだけなのかもしれない。ある意味、自己満足なのかもしれない。

 が、今日姉から”小さい頃は本当にごめんね”と言われたとき、なんとも言いようのない暖かさを感じた。覚えていないなりに実はとても嬉しかった。自分の事を、自分が知らない間に思っていてくれた人がいたというその事実が、嬉しかったのだと思った。そういう事が、私が求めている本当の”コミュニケーション”なのかなと思った。

ちなみに、私の母のように『恨み』の記憶が強い人に唐突に『あの時はごめんね』と言うと、気分によっては突然いろいろ思い出して手がつけられないほど怒り出すことがあるので、注意が必要である。

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