(2009/3/8転記)主治医と面談。
一人だとまぁいいかと思って外に出なくなる事を話したら、「まぁいいかと自分を許せるのはいい事じゃないですか。」と言われた。むしろ、昔むりやり買い物に行ったりご飯を作ったりしていたのは、自分に負かをかけていただけなのかもしれない。
自分を許せるようになるという目標にむけて、このままいきましょうと言われた。
(2009/3/8転記)自宅から病棟へ戻る。テンション下がりっぱなしである。他人に愛想よくなんてできない。あからさまに不機嫌な態度をとってしまう自分がいやだ。熱が37.4℃あった。
うつ病ではない元気な人のいるデイルームになんて行く気がしない。うつで活力がない時は、部屋にこもっていた方がいいに違いない。
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認知行動療法5回目。
私が例に挙げた状況・・・心ゆるせる友人が1人しかいなくて孤独を感じているのは、自分が交友関係を閉ざしているからだと臨床心理士さんに”反証”され、それは病気のせいだからではないのかと憤りを感じた。好きで病気になっているんじゃないのにと思うと、悔しかった。
めまいがする。
(2009/3/8転記)認知行動療法4回目。3つのコラムの宿題は褒められた。次回からはその”思考”の”根拠”を考えなければいけない。
認知療法は、言葉を選んで考えるという点で、国語みたいだなと思った。”編集”という作業をしているような感じ。私の得意分野ではあるが、そこには”ゆるぎない客観的事実”を含めなくてはいけない。今後はどうなるだろうか。
退院したいという思いと、もう少し頑張れそうかなという思い。でも頑張っても治る保証もないし、むしろ悪くなるかもしれない。
退院について、主治医と夫と三者面談をする。退院したいのかと聞かれると、わからなくなる。どっちを選んでも悪い事ばかりと思う。
結局当面のところ、認知行動療法の日以外は、自宅で過ごすことになった。
(2009/3/8転記)今って何待ち?
ひたすらガマンして2~3週間たてば退院できる?
そのあとに何がある?死ぬのを待つだけ?
何待ちなの?ねぇ・・・
(2009/3/8転記)認知行動療法3回目。不快だったときの事を、状況・気分・思考の3つに分けて整理することを学ぶ。(3つのコラム)
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夕方コーヒーを飲もうとしたとき、そのコーヒーは母が買ってくれたものであったため、突然母の事を思い出して号泣した。母はなぜお見舞いにも来てくれないのだろう。私は見捨てられているのではないか。さびしさと孤独感でいっぱいになった。
私の居場所はどこなんだろう。嗚咽していたら、他の患者さんたちがわざわざ私を迎えに来てくれた。ぐりえちゃんの場所はここにあるよ、と椅子を出してくれた。うれしかった。
(2009/3/8転記)週末は自宅で過ごした。
泣いてばかりだった。病院には戻りたくなかった。かといって家で何をすればいいのかもわからなかった。居場所がない。
ただ夫だけは、そんな私を愛し続けてくれる。ありがとう。他のみんなは、泣いてばかりの私を煙たがる。手がつけられないと思うだろう。
夫のために治って家に帰らなくちゃ・・・。